岸田●我々が「見ていない現実」というのは常に、都合の悪い、見たくもない現実ですけれども、その折々の「見たくない現実」というのは、時代によってそれぞれ内容は変わっているとは思います。
日本だけではありませんが、とくに日本という国はいろいろな現実を隠蔽して成り立ってきた国ではないかと思います。都合の悪い現実を見ようとする動きもむろんあるわけですけれども、隠そうとする動きもあって、見ようとする動きと隠そうとする動きが対立抗争してきて、むしろ隠そうとする動きが優位に立っているのが日本の
歴史だ言えると思います。また、隠そうとするいう動きも別にまとまっているわけではなくて、いろいろな隠し方があり、あっちの人が見ていることをこっちの人は見ていない、こっちの人が見ていることをあっちの人は見ていないというようなこともあるわけですね。現代という時代を、日本人がいちばん見たがっていない現実とは何かという観点から見るならば、この時代の歪みというか閉塞状況といいますか、この時代には何かよく分からないようなことがいっぱいありますが、そういうことがいささか見えてくるんじゃないかと考えます。(『
ものぐさ社会論 岸田秀対談集』
岸田秀)