脳梗塞のリハビリは、そういう機能障害のためにあるらしい。単にもともとあった機能を回復するのではない。もっと創造的な治療だと気づいて、一生懸命リハビリに精を出しました。
 そうして、杖をついてやっと一歩歩くことに成功しました。発作を起こしてから半年あまりで初めて歩いた一歩です。歩くということがこんなに感動的なこととは知りませんでした。それは新しい体験でした。
 一歩歩けば二歩、二歩あるけば三歩、というように、それから2ヶ月かかって50メートルも歩けるようになったのです。もちろん杖をついて、「ゴリウォーグのケークウォーク」(※ドビュッシー作曲のクラシックピアノ曲。「子供の領分」の第6曲)よろしく、よたよた躓(つまず)きながら歩くだけです。車椅子でも大概のことはできるのですが、自分の足で歩きたい。倒れれば骨折の危険もあるのですから毎日薄氷を踏む思いです。歩くことは命懸けの行動なのです。それでも歩きたい。なぜなのでしょうか。
 私はこう考えます。歩くということは、人間の人間たる所以の行動だからではないでしょうか。つまり、歩くということは、移動することのほかに特別の意味を持っているのです。だから、初めて一歩歩いたとき、人間を回復したような例えようのない喜びを感じたのです。人類は直立歩行を始めてから、歩かないではいられない。歩くことが、こんなに感動的な行動とは知らなかった。一歩踏み出したことが生きる意味を変えてしまったのです。
 柳澤さんのお孫さんが驚きの声を発したのは、そこに昨日までの柳澤さんとは違った人間を見たからではないかと思います。誤解を恐れないでいえば、直立歩行ができたときの驚きでしょう。
(『露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話多田富雄柳澤桂子

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