だが、それにしても、私たちのいったいどれだけの者が、この「ナクバ」という言葉を知っているだろうか。私たちが「ナクバ」を知らないということは、単にその言葉を知らないというだけにとどまらない。それは、「パレスチナ問題」と呼ばれる問題の歴史的根源に、彼らが「ナクバ」と呼ぶ出来事があるということ、すなわち、シオニズムによって、パレスチナの地に可能な限り純粋なユダヤ人国家の創設が目指されたことで、その地に生きるユダヤ人ならざる者たちが民族浄化の暴力の犠牲となったこと、レイシズムにもとづくこの歴史的不正こそが「パレスチナ問題」の核心に存在するこという事実、そして、現在生起する問題のすべてがその歴史的不正に根ざしているという事実を知らないということだ。一方、私たちの多くが「ホロコースト」という言葉を知っている。そして、それが、いかなる出来事であったのかということも。また、その出来事をヘブライ語で「ショア」と呼ぶということさえ知っている者たちもいる。だが、ナクバについては知る者は少ない。ホロコーストが現代世界で広く記憶されるのに対し、なぜ、ナクバはそうではないのだろう。ホロコーストとナクバの、私たちの記憶をめぐるこの違いはいったいどこから来るのか。(『アラブ、祈りとしての文学岡真理