これは複雑な社会での危険なほど典型的な状況を示すものと言える。邪悪な行動の連鎖の中間段階でしかなく、行動の最終的な帰結から遠く離れていれば、責任を無視するのは簡単になる。
アイヒマンですら、強制収容所を視察したときには気分が悪くなったけれど、でも実際に大量殺人に参加するにあたり、かれは机に向かって書類をやりとりすればいいだけだった。同時に、収容所でチクロンBを投入した人物は、単に命令に従っているだけだというのを根拠に、自分自身の行動を正当化できた。したがってここには、人間行動総体の断片化がある。邪悪な行動を決断してその帰結に直面しなければならない一人の人物というのがいない。行動の全責任を負う人物が消え去っている。これこそ現代社会で、社会的に組織化された悪にいちばんありがちな特徴かもしれない。(『
服従の心理』
スタンレー・ミルグラム:山形浩生訳)