私は先生のご闘病記の中の次のくだりが大好きです。直径175センチもあるかと思われる夕日が日本海に沈んで、一本の金の線となって海にかくれるところを先生が見ておいでになったときです。
「その時突然思いついたことがあった。それは、電撃のように私を襲った。なにかが私の中でぴくりと動いたようだった。(中略)
もし機能が回復するとしたら、単なる回復ではない。それは新に獲得するものだ。新しい声は前の私の声ではあるまい。新に一歩が踏み出されるなら、それは失われた私の脚を借りて何ものかが歩き始めるのだ。もし万が一、私の右手が動いて何ものかを掴んだならば、それは私ではない新しい人間が掴んだはずなのだ。(中略)
新しいものよ、早く目覚めてくれ。それはいまは弱々しく鈍重だが、無限の可能性を秘めて私のなかに胎動しているように思われた。私には彼が縛られ、痛め付けられた巨人のように思われた」
これは、経験のないものにはいい得ないことですし、そのように感じられる先生の感性が健在であることを物語っています。そして、その陰に、神経科学が先生のご思考を支えているのです。その結果、このようなユニークな感覚が描かれたのだと思います。
私も長い間寝たきりになったあと、起きあがって歩くのはとてもたいへんでした。はじめに、リハビリの先生をお願いしないで、勝手に動いてしまったので、すっかり腰を痛めてしまったのです。最初の一歩は1998年12月2日に踏み出しました。リハビリの先生の手につかまって立った私から、先生はすっと手を引いてしまわれました。そして、そこには、一人で立っている私がいました。やはり感激しましたが、涙は出ませんでした。と申しますのは、そこへちょうど3歳になる孫が入ってきて、これ以上開けないほど目を見開いて、
「ママ、たいへん! おばあちゃんが大人のように立ったよ!」
といったのです。感激は大笑いになってしまいました。(柳澤桂子)
『露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話』多田富雄、柳澤桂子
病気