グレン・グールド(カナダ)も、その集中力の高さにおいては、リヒターに劣らなかった。しかしその演奏は、ドイツの伝統から出たリヒターよりもはるかに自由で、個性的なものであった。その目のさめるようなバッハに接すると、この演奏がかつて賛否両論の対象であったことが、不思議にさえ思えてくる。結局、拒絶をひき起こすだけのインパクトをもっていたからこそ、グールドの演奏は死後に生き残り、日々輝きを増しつつあるのだろう。
グールドがバッハのポリフォニーに運動をもちこんだことは、第一章で述べた。彼がポリフォニーの各声部を生き物のように弾き分ける能力は信じられないほどだが、彼はそうした能力によってフーガを、嬉々とした競争のように躍動させる。一方、これに先立つプレリュードでは、表現の多様性が思い切り拡大される。あるときはゆったりとした瞑想に沈み、あるときは踊りのように快活に、またあるときは……。
このようにグールドは、バッハの音楽に潜在する本質をしっかりとふまえながら、それまで誰も思いつかなかったほど自由に、バッハを演奏した。彼は現代ピアノを用いているし、その奏法も、バッハ時代そのままというわけではない。だが、グールドの自由さは、その自由さそれ自体が、バッハの演奏にもっとも大切でありながらいつしか見失われていたものの発見であった。
(『J・S・バッハ』礒山雅)