なにかを学ぶとは、結局は人間がしあわせになるために学ぶのです。その人自身がこの世の中でせいいっぱい、いまの自分を生きるために学ぶのです。ですから、学ぶことは、そのまま自分を生きることでもあります。みなさんのなかには、たとえば、いま学校の勉強がおもしろくないとか、いまの学校はどうも自分の生き方にあわないとか、あの先生はなんとしても好きになれないとか感じて登校を拒否したり、先生からのはたらきかけを拒否したりしている人がいるかもしれません。いまの学校の体質からすれば、そうする人がいることはけっして不思議なことではありません。しかし、そこでぜひ考えてほしいのは、相手を否定したら、それでは自分に責任をもった生き方を自分はどう選択し、創りだすか、ということです。学校を拒否し、教師を拒否し、親を拒否して、相手を否定したけれども、それと同時に、自分をもだめにしてしまったら、なんの意味もないわけです。
 自分自身に責任を持つというのは、では、自分自身の生き方をどうするかを考えて、自分自身の道を選択することです。そのために学ぶということであります。
(『自由の森学園 その出発』遠藤豊)

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