イスラエル政府は、ゲリラ活動に厳罰で対処していった。一人のゲリラが出たら、彼の家族の住む家を爆破し、やがて付近の住居全部をダイナマイトとブルドーザーで破壊した。共同懲罰刑を科したのである。ヨルダン川西岸地区のヒルフール市では、一度に30軒の家が破壊された。やがてガザ地区のキャンプでは、イスラエル軍のパトロールが行ないやすいようにと、家々を破壊して道路が広げられることになる。
子どものデモでも容赦なかった。死者が増え、ヨルダンへの追放、逮捕、拷問が伝えられるようになる。ナチスの迫害にあった人々が、他の人々を拷問するなどとは信じなかった国際社会も、アムネスティ・インターナショナルや国際赤十字が多くの証拠資料を提出するに及んで、信じるほかなくなった。そのほか、ヨルダン川を渡って戻ってこようとしたパレスチナ難民が、女・子どもの区別なく、警告なしに次々と殺害されていったこともイスラエルで暴露された。
(『パレスチナ 新版』広河隆一)