写真家・森山大道氏は20代の若さながら、細江英公の助手として三島の有名な写真集『薔薇刑』の撮影に立ち会い、そのすべてのプリントを焼いたという運命的な経験の持ち主です。
 森山氏はこの三島との出会いを回想しながら、三島が亡くなった1970年ころから、日本の見え方が変質していったという、写真家ならではの歴史的直感を述べています。その変質とは、ひと言でいえば、「輪郭がぼやけていく」というものでした。
 この「輪郭がぼやけていく」感覚は、左翼運動の退潮で敵が見えなくなったこととも、また、高度経済成長で豊かさ以外を見なくてもよくなったこととも通じあう感覚でしょう。森山氏はそうした状況のなかで、いいようのない不安に襲われ、睡眠薬を常用するようになり、写真家としての活動を休止してしまいます。
(『続・三島由紀夫が死んだ日 あの日は、どうしていまも生々しいのか中条省平〈ちゅうじょう・しょうへい〉)

三島由紀夫