柴田氏は、『
報道されなかった北京 私は追放された』(サンケイ新聞社)という手記の中で、文化大革命当時の中国の異様な雰囲気を生々しく記録している。当時北京に駐在していた日本の商社マンたちは皆、胸にはいつも
毛沢東バッジをつけ、商談や接待の前には『
毛主席語録』を朗読してみせなければビジネスができない状況だったという。ある商社は「文革の勝利万歳!」「偉大なる毛主席万歳!」と叫びながら街なかをデモ行進までしてみせたという。そうまでして中国に忠誠心を示しながらも、スパイ容疑をかけられ、紅衛兵に両腕をねじあげられたままオフィスの廊下を歩かされたり、殴られて鼻血を流した日本人ビジネスマンも少なくなかったという。民間人だけでなく外交官といえども例外ではなかったようで、柴田氏はイギリス大使館が焼き討ちに遭い、紅衛兵がイギリス人外交官の頭を押さえつけ「頭を下げて謝罪しろ」と責めるのも目撃している。国外追放された柴田氏は北京を脱出する飛行機の中でさえ、スチュワーデスの命令で『毛主席語録』の朗読や毛沢東を賛美する革命歌の歌唱練習をさせられたという。(『
なんじ自身のために泣け』
関岡英之)