木理(もくめ)美(うるわ)しき槻胴(けやきどう)、縁にはわざと赤樫(あかびし)を用ひたる岩畳作(がんじょうづく)りの長火鉢(ながひばち)に対(むか)ひて話し敵(がたき)もなく唯(ただ)一人、少しは淋(さび)しさうに坐(すわ)り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉(まゆ)を何日(いつ)掃(はら)ひしか剃つたる痕(あと)の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとどめて翠(みどり)匂ひ一トしほ床(ゆか)しく、鼻筋つんと通り眼尻(めじり)キリリと上り、洗ひ髪をぐるぐると酷(むご)く丸(まろ)めて引裂紙(ひつさきがみ)をあしらひに一本簪(いつぽんざし)でぐいと留(とど)めを刺した色気無(いろけなし)の様(さま)はつくれど、憎いほど烏黒(まつくろ)にて艶(つや)ある髪の毛の一ト綜(ふさ)二綜(ふたふさ)後(おく)れ乱れて、浅黒いながら渋気(しぶけ)の抜けたる顔にかかれる趣きは、年増(としま)嫌(ぎら)ひでも褒めずには置かれまじき風体(ふうてい)、我がものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢(しれもの)が随分頼まれもせぬ詮議(せんぎ)を蔭では為べきに、さりとは外見(みえ)を捨てて堅義(かたぎ)を自慢にした身の装(つく)り方、柄(がら)の選択(えらみ)こそ野暮(やぼ)ならね高(たか)が二子(ふたこ)の綿入れに繻子襟(しゆすえり)かけたを着て何所(どこ)に紅くさいところもなく、引つ掛けた【ねんねこ】ばかりは往時(むかし)何なりしやら疎(あら)い縞(しま)の糸織(いとおり)なれど、これとて幾度(いくたび)か水を潜(くぐ)つて来た奴(やつ)なるべし。(『
五重塔』幸田露伴)