慶応4年(1868)正月3日から4日にかけて戦われた鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いは、幕府、会津の思わぬ惨敗だった。
 決定的な敗因は、戦いの最中に将軍徳川慶喜(よしのぶ)と会津藩主松平容保(まつだいらかたもり/1835-93)が大坂から軍艦開陽丸で江戸に逃げ帰ったことだった。
 死を賭(と)して戦っているときに最高指揮官が敵前逃亡したことは、稀有(けう)の不祥事であり、その衝撃は大きかった。
(『会津落城 戊辰戦争最大の悲劇星亮一

日本近代史
 正しいヒントさえ見つけることができれば自分にも解ける謎であるかのように、海岸線の風景を隅々まで見ようと振り返った。(『黄昏に眠る秋』ヨハン・テオリン:三角和代訳)
 新垣(三郎)氏は、1945年(昭和20年)、サイパン島で2件の殺人を犯し、死刑の判決を言い渡されたひとである。およそ9年、獄につながれ、奇(く)しくも命ながらえて、一転、神の福音をのべつたえる牧師となった。(『地獄の虹毛利恒之
 天皇家だとか藤原家といったごく特殊な例を除いて、今日の日本社会を構成している一般市民の家は、99パーセント以上の確率で歴史的に自分の祖先をたどってさかのぼりうるのは江戸時代初期まで、もう少し無理をしても戦国時代末までなのである。(『江戸時代大石慎三郎

江戸時代
 だが、これらの見解は歴史的事実に反する。削除された×と○を残さぬ“残酷でスマート”な検閲は、残念ながらアメリカ軍によって発明されたのではなくて、天皇の特高警察によって昭和11年秋ごろから計画され、昭和14年ごろには完成した方法である。アメリカ占領軍は、その天皇制特高の“残酷でスマート”な方法を真似したにすぎない。(『占領下の言論弾圧』松浦総三)

日本近代史
 その延長線上に、それでもなぜ戦争は起こるのか、それを研究する立場の人たちがいます。これはリアリズム(現実主義)という立場の人たちです。そのリアリズムの範疇(はんちゅう)に地政学というものもあるわけです。地政学というのは、地理的な概念の上に展開されていく国家の政治軍事戦略を研究する学問で、それぞれの国が何を考えているのか、例えば、国家と国家の、国境線近くには常に活断層と言ってもよい危険が存在する。その活断層はどういう条件のときに活動して戦争をもたらしてきたか、それらを歴史的な具体的事例にもとづいて常に考察し理論的に体系づける、将来を展望する学問です。(『日本人が知らない地政学が教えるこの国の針路菅沼光弘
菅沼●アメリカの本当の国防政策はどこで決まるのか。実は、これはペンタゴンではない。実質的には財務省なんです。もっと言えば、財務省の裏にいるウォールストリートが決めるんです。(『NIPPON消滅の前にこれだけは知っておけ! サバイバル・インテリジェンス菅沼光弘、北芝健、池田整治
 永遠なるものの理念をことばで理解することはできないし、記述することさえ不可能である。だが芸術にはそのことを可能にする。芸術はこの無限なるものを感得できるものにする。絶対的なるものを捉えることのできるものは、信仰と創造行為のみである。(『映像のポエジア 刻印された時間』アンドレイ・タルコフスキー:鴻英良訳)
「天皇陛下が降伏の命令を出されるのだろうから、日本人として従うしかないだろう。しかし安心しなさい。陛下は退位させられるかも知れないが、その場合は摂政を置けばよい。日本は絶対に亡びない。暫くは占領されるだろうが、独立も回復できる。しっかりやりなさい」(『革命家チャンドラ・ボース 祖国解放に燃えた英雄の生涯稲垣武

日本近代史藤原岩市ガンディー
「日本軍を指揮した柴(五郎)中佐は、籠城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊富であったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつき合う欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになったからだ。日本人の勇気、信頼性そして明朗さは、籠城者一同の賞讃の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである」ピーター・フレミング(『北京燃ゆ 義和団事変とモリソンウッドハウス暎子

日本近代史
 もっとも重要なことは、軍閥が、その縁故的人事や内輪の決定を通じて軍内政治を支配しただけでなく、それが正院・内閣の文民政治家や元老などと密接な連絡を保ち、軍外の政治過程に大きな影響を及ぼしたことであろう。周知のごとく軍閥は、雄藩出身の政治家を長とする官僚集団=「藩閥」の一部を構成し、その政治力の裏づけとなった。
 政党政治の時代になり、山県有朋〈やまがた・ありとも〉のような藩閥政治家が姿を消した後も、新たなリーダーを求めて、むしろ軍内抗争は激しくなり、それが日本全体の政治を左右した。このように第二次世界大戦以前の日本においては、多くの政治の変動が軍内の抗争と連動して起こっており、他方、軍制は必ずしも純粋に軍事合理的な理由では作られず、何らかの政治目的に従属して操作された可能性があることを忘れてはならない。(大島明子)
(『日本の軍閥 人物・事件でみる藩閥・派閥抗争史』)
美子●(藤原)咲平さんはお天気ばかりではなく、色々なエピソードがあるそうね。

正彦●戦争中、陸軍に協力して風船爆弾を作った。千葉県や茨城県の海岸から、1万発ほどの風船爆弾を、時速100キロにも及ぶジェット気流に乗せて飛ばしたそうだ。この気流の厚さはたった数キロなので、直径10メートルの風船が昼と夜の気温差などにより、この帯から出ないような精巧な工夫をしたんだよ。風雨に打たれても大丈夫なように、和紙に渋柿でコーティングしてね。1割ほどはアメリカまで届いて爆発したらしい。

(『藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩藤原正彦藤原美子
「だから、おまえは消えてしまってはだめだ。だからこそ、おまえはこれを乗り越えて、戻ってきて、元気になってくれ。おまえの人生がバラの花の上で踊るような楽しいものではないことは知っている。おまえが人生を粗末に扱っていることも知っている。まるで自分などなんの価値もないというように。だがそうではない。そう思うのは正しくないんだ」(『緑衣の女アーナルデュル・インドリダソン柳沢由実子訳)
「演歌」という語が1960年代(むしろ昭和40年代というほうが正確でしょう)に音楽産業の中で一つのジャンルとみなされてゆく過程と、それが「真正な日本文化」として高い評価を得てゆく過程は相関しています。というよりむしろ、ある種の知的な操作を通じて「演歌」というものが「日本の心」を歌う真正な音楽ジャンルとして新たに創り出されたのです。(『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』輪島祐介)

音楽
 モリソンが日本を訪問し、桂太郎首相の公邸を訪れた際、首相はモリソンの籠城記に触れ「日本を世界に知ってもらうのに大きく役立ちました」と礼を述べたのに対して、「……私は、柴中佐指揮下の日本兵の働きを、ただありのままに記録し発表しただけなのですから」とモリソンは応(ママ)えたという。(『日本人の底力 陸軍大将・柴五郎の生涯から』小山矩子)

柴五郎
 不健康なやり方で子どもをコントロールしてばかりいる親は、気づかぬうちに子どもの心に地雷を埋め込んでいる可能性があります。その子どもは、いつ爆発するかわからない危険を感じながら、綱渡りの人生を生きることになるかもしれません。そして大人になってもなお、人を愛したり、何かに成功したり、安心して暮らしてもかまわないのだと“許可される”のを待っているかもしれません。その許可は自分が与えればよいということがわからないのです。(『不幸にする親 人生を奪われる子供』ダン・ニューハース:玉置悟訳)

虐待
 解放への鍵を探しているなら、悪い知らせと良い知らせがある。
 悪い知らせ――解放への鍵など存在しない。
 良い知らせ――扉に鍵はかけられていない。
(『ホームには誰もいない 信念から明晰さへ』ヤン・ケルスショット:村上りえこ訳)
【食事制限のみに頼った無茶なダイエットは、「寝たきり」になるのを早めます。】もしこうしたダイエットを過去に何度も繰り返してきたのであれば、どんなに若かろうとも“自分はもうすでに「寝たきり予備軍」になっている”という自覚を持ったほうがいいでしょう。(『寝たきり老人になりたくないならダイエットはおやめなさい 一生健康でいられる3つの習慣久野譜也
「でもオレはね、感謝しているの。だって、この病気にならなかったら、いまごろ何をしているのかと思うと、いまのオレでなければ、みなさんと会ってお話することはできないわけだからね」(韓国新羅大学の特別授業で)『てっちゃん ハンセン病に感謝した詩人』権徹

詩歌
 まず「第一次産業」から「第三次産業」をおさらいすると、
 第一次=農業・牧畜・漁業
 第二次=食品加工などの製造業
 第三次=小売り業、サービス業など
 これらをすべて1社で行うことを、「一」+「二」+「三」で「六次産業」といいます。業務スーパーはまさにこの六次産業を国内最大規模で行っているのです。
(『業務スーパーに行こう!』株式会社エディキューブ)
(宮沢)賢治は、風の中を大股で歩きながら詩をつくるのが好きだった。首からペンをぶらさげて、いい文句が浮かぶと書きつけ、ときどき「ホッホウ」と叫んでとびはねた。(『声に出して読みたい日本語 1齋藤孝

言葉文学
「(※静岡市の)次は八王子市で(※名誉市民証号授与の工作を)できないか。あちらに、学会の本山をつくって、将来、創価市としたい」(『闇の帝王、池田大作をあばく』山崎正友)
「改憲」は、「1946年に日本人は天皇を守れなかった」という歴史を意志的に固定する行為になってしまいます。それは将来の日本人の「国防の意志」に対して、ぬぐうことのできない汚損(おそん)を刷り込むでしょう。日本人によって一度演じられたそのような全面敗北は、将来また、起こしてやれるはずだと、外国人にも期待をさせてしまうでしょう。(『「日本国憲法」廃棄論兵頭二十八

憲法日本近代史
 朝日新聞の権威に逆らう者に朝日は容赦しない。紙面を使って糾弾し、世間もそれにひれ伏させ、朝日を怒らせた者の処罰を強いる。朝日は神の如(ごと)く無謬(むびゅう)というわけだ。
ビルマの竪琴』を書いた竹山道雄氏がある時点で消えた。原子力空母エンタプライズが寄港するとき、朝日新聞の取材に氏は別に寄港反対を言わなかった。これも常識人のもつ常識だが、それが気に食わなかった。
 朝日は紙面で執拗に因縁をつけ続けてとうとう社会的に抹殺したと身内の平川祐弘(すけひろ)・東大教授が書いていた。
 南京大虐殺従軍慰安婦沖縄集団自決も同じ。朝日が決め、毎日新聞や中日新聞が追随し、それを否定するものには耳も貸さないどころか、封殺する。
(『変見自在 スーチー女史は善人か高山正之
「敵味方を超越した広大な陛下の御仁慈を拝察し、これを戦地の住民と敵、特に捕虜に身をもって伝えることだ。そして敵にも、住民にも大御心に感銘させ、日本軍と協力して硝煙の中に新しい友情と平和の基礎とを打ち建てねばならない。われわれはこれを更に敵中に広めて、味方を敵の中に得るまでに至らねばならぬ。日本軍は戦えば戦うほど消耗するのではくて、住民と敵を味方に加えて太って行かなくてはならない。日本の戦いは住民と捕虜を真に自由にし、幸福にし、また民族の念願を達成させる正義の戦いであることを感得させ、彼らの共鳴を得るのでなくてはならぬ。武力戦で勝っても、この思想戦に敗れたのでは戦勝を全うし得ないし、戦争の意義がなくなる。なおこの種の仕事に携わる者は、諸民族の独立運動者以上にその運動に情熱と信念とをもたねばならぬ。そしてお互いは最も謙虚でつつましやかでなくてはならぬ。大言壮語したり、いたずらに志士を気取ったり、壮士然としたりすることを厳に慎しまねばならぬ。そんな人物は大事をなし遂げ得るものではない。われわれはあくまで縁の下の力持で甘んずべきだ。われわれは武器をもって戦う代りに、高い道義をもって闘うのである。われわれに大切なものは、力ではなくて信念と至誠と情熱と仁愛とである。自己に対しても、お互いは勿論、異民族の同志に対しても、また日本軍将兵に対してもそうでなければならぬ。そしてわれわれは絶対の信頼を得なければならぬ。最後に、お互いは今日から死生を共にする血盟の同志となり、君国のために働こう」(『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市)

大東亜戦争日本近代史チャンドラ・ボース
 共産党は、東京裁判の結果をそのまま受け入れ、「戦争をした日本は悪い国だった」と断罪し、日本の歴史や伝統を吟味することなく否定してきた。また、防衛については考えを二転三転して、アメリカ軍や自衛隊についてもただただ反対しているだけである。(『日本共産党と中韓 左から右へ大転換してわかったこと筆坂秀世
 人ひとりの心の中には、「私心」と「公心」の両方が併存している。赤紙を受け取った瞬間、当然ながら「嫌だ、行きたくない」という感情だって湧いたはずである。そして内心には、大変な葛藤があっただろう。当然ではないか。まだ20歳代で、本来ならこれからの人生に大きな希望が広がっていたはずなのだ。しかも当時の家族の絆は現在とは比べものにならないほど強く、情は深い。自分が先立ってしまったら、残された父母がどれだけ悲しむかは容易に想像がつき、それを考えただけでも、身を裂かれる思いをしたであろうことは間違いない。
 しかしながら、家族に宛てた遺書をしたためるに当たっては、そのような葛藤にすべてけりをつけ、覚悟を決めて、「公心」だけを記している。そして最後に、父母兄弟に告げるのである、「泣かずにほめて下さい」と。
 この簡潔な文章の行間に、どれだけ複雑な心情が入り込んでいるか。それは百万言を費やしても到底表現できるものではない。
(『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選小林よしのり責任編集)

戦争日本近代史
 ヨーロッパの町並みを思い出してみてください。都市は、石で埋め尽くされています。
 荘厳な聖堂、途方もなく巨大な城、豪華な教会、そして美しくつらなる家並。それら建物はもちろんのこと、道路、橋、水道というインフラまでも、すべて石で出来ているのです。
 まさに石こそ国家の要、石こそ国の最重要素材でした。石工がいなければ、城壁ひとつ作れないのですから、石工の「マスター」(親方)は重要人物ということになります。
(『石の扉 フリーメーソンで読み解く世界加治将一

フリーメイソン
 ふたりの隊員たちは、特攻出撃を間近にひかえて、グランドピアノを探しまわったという。おおかたの学校にはオルガンしかなかった。めずらしく鳥栖の国民学校にグランドピアノがあると聞いて、彼らは三田川から十二、三キロの道のりを長崎本線の線路づたいに走るようにしてやってきたのだった。
 ピアニストになることを夢見て学びつづけてきた青年にとって、リサイタルの一度もひらかず死ななければならないとは……。死ぬに死にきれない、無念なことであろう。今生(こんじょう)の訣別に思い切りピアノを弾きたい、という青年の思いが、公子には痛いほどわかる。
(『月光の夏毛利恒之

特攻隊
 この時代の経済でとくに記すべきことは、貨幣経済の浸透である。日宋間の交易で銭が輸入されたことはすでに記したが、日本にもたらされた【宋銭】(そうせん)の総量は2億貫にものぼるという。現在、中世考古学による遺跡の発掘から、10万枚単位で銭貨が発見されており、宋銭の数がぼう(ママ)大であったことは疑いがない。(中略)土地売買の証文を例にとると、鎌倉時代初期は米による土地売買が60%、銭による土地売買が40%だったものが、鎌倉時代末期には米15%、銭85%に変化している。(『詳説 日本史研究』佐藤信、 五味文彦、高埜利彦、鳥海靖編集)

日本史
 タマネギには、イソアリインという硫黄化合物と、アリナーゼという酵素(消化や呼吸など、体内で行われる化学反応を促進する物質)が、別々に含まれています。タマネギを切って、空気にふれることで、この2つの成分が混ざり合い、チオスルフィネートという別の物質に生まれ変わります。
 このチオスルフィネートは、ガンの発生を抑制し、ぜんそく発作をおさえ、痛みを鎮め、血糖値を下げる、と実に多くの薬効が確認されているのです。(中略)
 チオスルフィネートは、タマネギを切って、20分を経過しないとできない物質です。そして、水にさらすと流れてしまいます。
 ですから、タマネギの薬効を得るには、できるだけ断面が空気にふれるようにスライスして、20分は置いてから食べるようにしましょう。(斎藤嘉美)
(『やせる!血糖値が下がる!「タマネギ」レシピ』)

レシピ本
 密教においても本尊、「権化(ごんげ)・化身(けしん)」、「変相(へんぞう)」、の関連性は最重要の課題の一つであるが、そのインド的基調は、タントラの「教義」にあることを見なくてはならないのである。(『密教成立論 阿含経典と密教金岡秀友
 ゾウについて一般向けに話をすると、必ず訊かれることがあります。
「ゾウは死ぬとき〈ゾウの墓場〉に行くという話があるけれど、ほんとうですか?」と。
 じつは、これはゾウの密猟者たちにつごうのよい話です。たくさんの象牙とともに捕まったときに、「ゾウの墓場を発見して……」と言い訳したのです。実際にはゾウの墓場などはありません。
(『万物の死 自然の死から〈死〉を考える』小原秀雄)
宮崎●そういう懐疑的態度、ないしは批判的姿勢というのはとても大切で、むしろ仏教の本旨にそぐわしいものです。ブッダは初期教典で、自分が口にしたどんなに清らかで明瞭な見解にさえしがみついてはならない、と弟子たちを戒めています。あらゆる教説や構想は疑われ、吟味されるのが当然で、ブッダ自身の言葉だからといって宝物のように扱ったり、執着すべきではない、と。(『知的唯仏論 マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う宮崎哲弥呉智英
 TPP問題は誰の身内になるのかが問われていると考えるべきです。TPPは自由貿易原理主義だから反対という論は、事の本質がわかっていません。逆に賛成派は、TPP反対は保護主義だと主張しますが、これも自由貿易主義のドグマにとらわれている。新・帝国主義の時代においては、TPPはむしろ保護主義だからいいのです。(『人間の叡智佐藤優
 呪術とはこれら自然のなかに拡散している呪力を取り出し、集めることにほかならない。呪術師は呪文(じゅもん)や呪具を使って直接自然から呪力を抜き出したり、神霊などと一体になることによって呪力をコントロールしたりする。すなわち、呪術とはテクノロジーだったのである。そして、この意味では、科学もまた広義の呪術に含まれるといえるのである。(『呪術・占いのすべて 「歴史に伏流する闇の系譜」を探究する!瓜生中、渋谷申博)
 結局、二つの場合が考えられる。まず、人間の条件を規則で取り囲むことによって、それを安定した体系の中に固定化しようとする場合であるが、この時には、この体系からその不完全さを象徴するすべてのものを排除するために儀礼に頼ることになる。次に、規則には還元できない、絶対的な力の世界に、象徴的に身を置く場合には、もはや本来の意味での人間の《条件》は存在しなくなる。(『儀礼 タブー・呪術・聖なるものJ・カズヌーヴ:宇波彰訳)
 タミーの態度には、ほかにも変化があった。声が高くなり、髪を指先でもてあそび、口や鼻に触るという“防衛的しぐさ”を見せた。さらに、必要もないのに本題から離れた話を付け加え、無意味なおしゃべりを続け、過度に一般化するような発言(“誰でも知ってることですよね”)をした。これらは、嘘をついている人物の典型的な行動だ。(『ロードサイド・クロスジェフリー・ディーヴァー池田真紀子訳)
 さて「ブラフマン」は、『アタルヴァ・ヴェーダ』においてたたえられる最高の諸原理の一つであった。「ブラフマン」とは、元来は「神聖な知識」、そしてその言語的表現としての讃歌・呪句を意味する語であった。讃歌や呪句には、神々を喜ばせ、また人間の願いをかなえさせる霊妙な力が宿っている。「ことば」が一種の霊力をもつという考えは、わが国の「ことだま」信仰にも見られ、インドでは早くから「ことば」が神格化されて、女神ヴァーチとなっている。やがて、祭式万能の時代を背景に、祭官の発する「ことば」の霊力が重要な意味をもつようになり、「ブラフマン」はこの霊力そのものとなった。そしてついには、それが宇宙の最高原理とみなされるに至ったのである。創造神ブラフマー梵天)は、この最高原理が人格的に表象されたものにほかならない。(『世界の名著 1 バラモン教典 原始仏典長尾雅人責任編集)

バラモンヒンドゥー教
 ウィーラーの「真のビッグ・クエスチョン」は、まさに抽象的な性質のものであり、また車のバンパーに貼るステッカーに記せるほど簡潔なものだが、運転中にそれに思いを巡らせるのはお勧めできない。その中の五つは、特に際だっている。

いかにして存在したか?
なぜ量子か?
参加型の宇宙か?
何が意味を与えたか?
ITはBITからなるか?

(『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー:水谷淳訳)

ビット
「子供は哲学者だ。病院で、娘に訊かれたことがある。なぜ人間には目があるのかと。見えるようにだとぼくは答えた」
 エイナルは静かに考えている。
「あの子はちがうと言った」ほとんど自分だけに言っているつぶやきだ。
 それからエーレンデュルの目を見て言った。
「泣くことができるようにと言ったんです」
(『湿地アーナルデュル・インドリダソン柳沢由実子訳)
ジャクリー 百年戦争による農地の荒廃、軍役奉仕の過重や重税などに反発してフランスの農民がおこした反乱。農民をジャックと蔑んだ封建諸侯を襲撃する光景を描いた15世紀の写本の挿絵(さしえ)である。(『山川 世界史総合図録』成瀬治、佐藤次高、木村靖二、岸本美緒監修)

世界史
 韓国は日本に併合された屈辱があり、しかも日本と戦わずアメリカに解放してもらった国。北朝鮮は少しゲリラ戦をしたが大負けに負けてソ連の傀儡(かいらい)にしてもらった国。中国はほとんど日本軍とは戦わなかった中国共産党が戦後、実際に戦っていた国民党を追い出して建国した国である。
「これらは日本に戦勝したという偽史なしには国民の物語が作れない国々であり、これからも絶えず日本と戦っていると国民にアピールするために、日本の主権をおかし、侵略をしつづけることであろう」と筑波大学教授の吉田博司氏は喝破(かっぱ)している(産経新聞2009・5・8)。
(『日本を貶めた10人の売国政治家小林よしのり編)
 マッカーサーは相も変わらず「原住民の王]気取りで自分の理想に酔っていた。フランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』(アポカイプス・ナウ)の本当のモデルはこのダグラス・マッカーサーなのである。昔、私の友人のアメリカ人が教えてくれた。あの映画の中の、東アジアの奥地で原住民たちの王になっているカーツ大佐とは、実はマッカーサーその人の姿である。元グリーンベレーであるカーツ大佐なるこの狂気の人物を本国に強制送還するか、射殺して来いという物語であった。(『日本の秘密副島隆彦

日本近代史
 日本は悪いことはしない誓いを立て、悪いことを避けるのを最大限の目標にして生きてきた。戦争は最大の悪だから、絶対これを避ける。自衛の戦争は、することになっているが、領海3マイルから外では、何が起きても関知しない。これを国家の最大限の目標にしてきたのである。
 そうしているうちに、日本は萎縮した。矮小化した。卑劣化した。気品を失った。
 大きなこと、美しいこと、善いこと、勇敢なこと、ノーブルなこと。これらのすべてを日本は拒否するようになったのである。
 戦争と軍隊は手段であり、悪にも善にも奉仕する。ところが、日本人は、戦争と軍隊を悪に見立てることによって、【悪と善の双方を避けるようになったのである】。
(『日本永久占領 日米関係、隠された真実片岡鉄哉〈『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』増訂〉)

西鋭夫日本近代史
 東京裁判は「勝者が敗者を裁くことにすぎない、ではないか」という批判に対し、裁判の設置者や検事側は「これは文明の裁きであり、侵略戦争の指導者を罰することで将来の戦争勃発を抑止し、国際社会を安全にする目的を持つ」という主旨の主張をした。敗戦という未曾有の体験をした当時の日本には、この占領者側の理窟に同調する人もいた。たとえば東京裁判の判決の翻訳団の一員であった横田喜三郎(東京大学法学部教授・最高裁判所長官・文化勲章受章者)などもそう主張していた。
 ところが、A級戦犯とされた人たちの死刑執行から2年も経たぬうちに――文学的誇張で言えば、判決文のインクもろくに乾かないうちに――朝鮮戦争が起こり、世界の多数国が参加する事態になった。その後もベトナム戦争や中近東の戦争、中印戦争、中越(中国ベトナム)戦争など、小さい戦争を数えれば実に多い。東京裁判に参加した判事の国の間で戦争しているのだから世話はない。つまり東京裁判は「文明の裁判」ではなく、単なる「勝者の裁判」であったにすぎないことは実証済みだ。
(『『パル判決書』の真実渡部昇一

パール判事日本近代史