日本の戦後にはそこへ、マルクス主義の風靡という要素が加わり、マゾヒズムはいやが上にも激症化した。東京裁判史観によって過去の日本を断罪しただけではなく、日本を「遅れた資本主義国」と規定することで二重の断罪をしたわけだ。その象徴的な例が、戦前の1932年にコミンテルンから日本共産党に与えられた運動方針、いわゆる「32年テーゼ」に沿って、明治維新をブルジョワ革命ではないとし、明治国家を絶対主義王制と規定した史観であり、それは現在の社会科・歴史教科書にまで尾をひいている。(『「悪魔祓い」の現在史 マスメディアの歪みと呪縛稲垣武

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