顧みるまでもなく、私の責任は重い。
 その重みは常に私の深層心理を支配してきた。「沖縄慰霊の日」(6月23日)などふと夜半に眼を醒まし、その地の同胞とそこに眠る無数の英魂を想い、鋭利な刃で五体を剔(えぐ)られるような気持に襲われたことすら一再ならずあった。それは、多分に運命のなせる業とはいえ、国家の外交の枢機に与(あずか)ってしまった私が歴史に対して負わなければならない「結果責任」である。
(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス 核密約の真実若泉敬