西田幾多郎には、およそ哲学者が魅力的であるための条件がすべてそなわっている。到底まっとうには読みこなせない奇怪な文体。固有なジャルゴンや言い回しの無神経なほどの乱用と繰り返し。そして、彼をとりまく人々の、今となっては異様とも見えかねない熱狂。目新しい海外思想のたんなる輸入や受容ではない、本邦初の独自の思索という過剰なまでの期待と賛辞。(『西田幾多郎の生命哲学 ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考』檜垣立哉)