まるで3カ月の間、口からものを摂ることができず、どんなに喉が渇いても水さえ飲むことができない。いや、自分の唾液ですら飲めずに、むせてしまうのです。当然ながら鼻からの経管栄養です。
訴えようとしても言葉にならず、叫ぼうとしても声にならない。手で表現しようにも体は動かない、という地獄のような苦しみでした。その間苦しい検査の連続です。一言も発せずに医師の意のまま送った2カ月は、生きるとは苦しみの連続であることを思い知らされました。
自殺を考えたこともしばしばでした。死ぬ用意もしました。死のうと思えば、手段は色々あるものです。でも懸命に看護している妻や娘を思えば、死ぬわけにはいかない。自分の命は自分だけのものではないことを、こんなに実感したことはありません。死はひとりだけの所有物ではない。愛する者と共有し、いつも共鳴しているものであることを強く感じたのです。
(『露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話』多田富雄、柳澤桂子)