とにかく、家にやっとついた私は、ひなんのことを聞いても、ここまで津波が来るはずがない、あのチリ地震津波の時は、志津川の腸内は津波の被害にあったが、私の住んでいる地区は、ずっと山の方で高くなっているのでたかをくくって、茶の間に入り、やれやれと一息ついたところ、ちょうど隣へ来ていた実家のおばちゃんが「いたの」と、声をかけて入ってきた。「いたよ、入らい、お茶のんでいかい」と、お茶の用意をしていたとき、ゴーウッと音がひびいてきたのだ。
「あれ、何の音」と、出窓から川の方を見たとたん、信じられない光景が目にとびこんできた。出窓のまん中あたりを、ガレキをのせた津波が弾丸列車のような速さで、とんでいくのだ。そして、みるまに、その下の部分から波がくずれ落ち、隣へおしよせ、そして、我が家までおし迫ってきたのだ。その間、何秒もたっていない。
(『3.11 慟哭の記録 71人が体感した大津波・原発・巨大地震金菱清編、東北学院大学 震災の記録プロジェクト)

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