何よりも大事な、教師の条件は子供の心の見えること──子供のうちにかすかに動いているものや、ことばにならないおもいを感じとる人間的な資質であるだろう。それが感受性であるわけだが、それはやさしさとは別のものではない。教師がそれを欠けば、子供のうちにある、表面には姿を見せない大事なたから(可能性)は切りすてられる外ない。子供のもっている豊かな可能性の貴重な愛惜すべき部分は、遠慮会釈なく学校
教育の中で無残に切りすてられてゆく。この「切りすて」に抵抗すると、今度は子供自身が容赦なく切りすてられるのである。(『
教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと』
林竹二)