不平家とは、自分自身と決して折り合わぬ人種をいうのである。不平家は、折り合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが、環境と闘い環境に打勝つという言葉もほとんど理解されてはいない。ベエトオヴェンは己れと戦い己れに打勝ったのである。言葉を代えて言えば、強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るがままの環境であって、そこに何一つ欠けているところも、不足しているものもありはしない。不足な相手と戦えるわけがない。好もしい敵と戦って勝たぬ理由はない。命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。だが、空想的ではない。これは、社会改良家という大仰(おおぎょう)な不平家には大変難しい真理である。彼は、人間の本当の幸不幸の在処(ありか)を尋ねようとした事は、決してない。
(『モオツァルト・無常という事』小林秀雄)