東●さらに言い換えれば、これ(池田小事件酒鬼薔薇事件など)は事件の物語化ができないということです。いかなる社会でも一定数の犯罪は必ずある。それにぶつかるかどうかは、個人の視点からは偶然でしかない。だからそれを封じこめるためにセキュリティの装置がはりめぐらされる。そして他方では、その物語の不在を埋め合わせるため――この部分では大澤さんと同じロジックになるわけですが――過剰に物語的な物語、いわゆる「トラウマ」や「癒し」といった言説が流行する。社会秩序は基本的には環境管理で守って、それでも起きてしまった事故を物語化するため、別のレベルでわかりやすい言説が要請される。そういう二層構造があるような気がします。
(『自由を考える 9.11以降の現代思想』東浩紀、大澤真幸)