釈尊の宗教の中に潜在、あるいは顕在する秘密行の要素は、従来決して看過されていただけではない。
『中阿含』『超阿含』並びに『四分律』等によると、仏は最初、弟子たちに対し、世俗の呪術密法を行なうことを厳禁し、もしそれを犯すものは波逸提を犯すと説き、さらにパーリ経典の小品小事篇第五には、この世俗の密法をもって「畜生の学」とまで弾訶せられた事実が早くから学者の指摘するところとなっている(拇尾祥雲『秘密仏教史』、昭和8年、高野山大学出版部、6頁)。
 しかし、この禁は【年と共に】ゆるみ、かの羅什訳『十誦律』第四十六(大正蔵、二十三巻、337頁以下)等に説くごとく、仏道修行の妨害になるような悪呪密法はもちろんこれを禁じたけれども、治毒呪とか、治歯呪とかいうごとき、一身を守護し、みずから慰安を得るがごとき善呪は、それを誦持するも妨げなしとして、ついにそれを黙許するにいたっている(同前、7頁)。このような理解のあと、近時、ようやく学者の注目――奈良康明氏等の――を浴びるにようなった『防護呪』の出現に触れてゆく(同前)。

(『密教成立論 阿含経典と密教金岡秀友

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