畜生にも劣る苦しい生活に耐え、心の葛藤と戦いながら月日は流れたが、待望の友軍は再び私たちの前には姿を現わさなかった。潜在する友軍も敵中のこととて連絡の手段もなく、目途空しく病魔に斃れたか、あるいは敵の捜索の目を逃れ得なかったか、その後、何ら消息を得ることもできず、昭和29年9*月、私たちはオランダ官憲の手に収容され、はじめて祖国の敗戦を知った。(『私は魔境に生きた 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年』島田覚夫〈しまだ・かくお〉)

小野田寛郎