どの『般若経』にも次のことがくり返し述べられている。菩薩がたとい無数の人々を解脱に導いたとしても、じつはいかなる人も解脱にはいったわけではないし、解脱に導いた菩薩がいるわけでもない、と。菩薩に、自分は菩薩だ、という観念があり、他人を迷える人だとする観念があれば、彼は菩薩ではない。それはとらわれの心であり、区別する心である。(『空の論理「中観」 仏教の思想3』梶山雄一、上山春平