グローバルという言葉にはいかがわしさがついてまわる。グローバル(地球)市民などという言葉が一人歩きしているが、グローバルと市民とは逆方向を向いており、何のことやらさっぱりわからない。
 民族であったり、国を背負っているから初めてグローバルになる。ナショナリティがあって、つまり世界のどこかに私の居場所があって初めて、他の居場所を持つ人たちと交渉をしたり、話し合いをしたり、物事を進められるわけである。
(『儲(もうけ) 国益にかなえば経済はもっとすごくなる!渡邉哲也