学問が手段化されることは、一人一人の人間が手段化されることと無関係ではありません。学問は、自己目的であってはならないけれども、単なる手段であってもならない。学問の自己目的化と手段化という古くからの難関は、実は、社会を成して生きている個々の人間と社会とがどうかかわっているか、どうかかわるべきかということと深いところで結びついています。人間は孤立した存在ではないけれども、集団の単なる構成要素でもない。一人一人の人間が学問的思考を有効に身につける意味が、そこにあるのです。(『
社会認識の歩み』
内田義彦)