1994年4月14日、ベルギー人PKO兵士10名が殺害されてから1週間後、ベルギーはUNAMIR(国連ルワンダ支援団)から離脱した――フツ至上主義者たちが狙っていたとおりになった。政府の臆病さと無駄になった任務に怒り、兵士たちはキガリ空港の滑走路で国連のベレー帽を破り捨てた。1週間後、1994年4月21日、UNAMIRの司令官ダレール少将は、充分な装備の兵士わずか5000人とフツ至上主義者と戦う許可さえ得られれば、ただちにジェノサイドを止められる、と述べた。わたしが確認した軍事アナリストの中にダレールの判断を疑う者はおらず、多くはその分析に同意した。RTLMのラジオ放送施設が、明白かつ容易な最初のターゲットになる。だが、その同じ日、国連安保理事会はUNAMIRの要員を9割削減する決議を可決した。UNAMIRは270名を残して撤退することになり、残った兵士にも砂嚢(さのう)の裏に隠れて事態を見守る以上のことはできないような命令を与えた。
国連軍のルワンダ撤退はフツ至上主義党による最大の外交的勝利であり、その責任はほぼ完全に米国にある。ソマリアでの大失敗の記憶がまだ生々しかったホワイトハウスは大統領決定指示(PDD)第25号なる文書を起草したところだった。これは要するに米国が国連平和維持活動への関与を避けるべき理由をまとめたチェックリストである。ダレールが求めた増援と攻撃指令が米兵を必要とせず、その任務が正確には平和維持活動ではなくジェノサイド防止であろうが、そんなことは関係なかった。PDD第25号には同時にワシントンの政策決定者が「政策言語」と呼ぶものまで含まれ、米国は自分が参加したくない任務を実行しないよう他国にも働きかけるべきだ、とうながしている。実際、クリントン政権下の国連大使マデリーン・オルブライトはルワンダにわずか270名の基幹定員を残すことにすら反対した。
(『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』フィリップ・ゴーレイヴィッチ:柳下毅一郎訳)