ただし、そのために裁判官としてはかなり無理をしたようです。
あの不謹慎な手紙が明らかになっている控訴審段階で、なお被告人には反省している心が部分的にあるし、これを何とか死刑を免れさせる理由にしていました。しかし、常識的に考えてこれはおかしいです。あの不謹慎な手紙を素直に読むと、反省の心などないと見るのが社会常識でしょう。だから、あの不謹慎な手紙を何とか言いくるめて、まだ反省の心が少しはあるから死刑を免れさせようという発想がどこから出てきたのでしょうか? それは、相場主義によれば、はじめから無期懲役の結論が出ているからです。はじめに結論ありきです。ですから、多少なりとも反省の心があるから死刑は勘弁してやろうというストーリーに乗ってくれないと困るのです。
(『裁判官が見た光市母子殺害事件 天網恢恢 疎にして逃さず』井上薫)