ホッと安堵して小説家はなみなみと注がれた風船玉グラスをじっと眺めた。さっきいったように今日と今夜は酒だけに集中するつもりである。グラスは変貌していた。瑪瑙(めのう)の髄部だけで作った果実のようなものがそこにある。いや。それに似ていながら、定着もせず、閉じもせず、深奥を含みながら晴ればれとしたものである。太陽は濁って萎(しな)び、広い干潟をわたってくるうちに大半を喪ってしまうが、それでも一条か二条かの光めいたものがまだあるらしく、果実は鮮やかな深紅をキラキラと輝かせた。その赤にはいいようのない深さがたっぷりとあり、暗い核心のあたりに大陸か、密林か、淵かがひそんでいそうである。風のなかを山腹にむかって斜めに、空か谷のほうへかすめ飛ぶ秋の雉子(きじ)の、首、尾、翼、そのどこかにこれとそっくりの一閃があったように思う。この時期に、こういうものを見ると、それだけでくぐもっていたものがほどけ、散乱が消え、何のあてもないのに眼が澄んできそうである。(『ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短篇小説』開高健)

アルコール