ポツダム宣言の第9項には、「日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめられるべし」とあったが、この条項には“送還の期限”が定められていないとして、ソ連は日本人捕虜のシベリア抑留・強制労働を強行した。最近になって、全抑協(※全国抑留者補償協議会)の斎藤六郎会長が、ロシア国防省の公文書館に保存されていた資料を調べた結果、敗戦後、山田乙三(おとぞう)関東軍総司令官がワシレフスキー極東ソ連軍総司令官に対して、帰国するまで捕虜将兵を、満州でソ連軍の使役に従事させる、と申し出ていたことを明らかにしている。これが事実とすれば、関東軍総司令官は、シベリア抑留への道をみずから開いたことになる。(『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史多田茂治

石原吉郎強制収容所