仏陀はつつましく、そして思いに沈みながら歩みを運んでいた。その静かな顔は喜んでいるとも、悲しんでいるとも見えなかった。その顔はひそやかに内に向かってほほえんでいるように思われた。ほほえみを内にたたえて静かに安らかに、どこか健康な児童にも似て、仏陀は歩みを運んだ、あらゆる弟子の僧と少しも違わず、きびしき戒律の定める衣を着け、その戒律に従って足を踏み進めた。しかしその顔(かんばせ)とその歩み、その静かに伏せた眼差(まなざ)し、静かに垂れた手、さらにその静かに垂れた手の一つ一つの指までも、平和を語り、完成を語り、作らず、倣(なら)わず、永久(とわ)の静けさ、永久の光、侵し得ない平和の中に、おだやかに息づいていた。(『シッダルタヘルマン・ヘッセ:手塚富雄訳)

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