死ぬこと自体が罰なのではない。その日を待ちつづけてもう4年半になるという事実が罰なのでもない。そうではないのだ。
真の罰は、日時がわかっているということ。
未来のいつか、でもなく。歳(とし)をとったら、でもなく。考えずに済むほど遠い、はるか彼方のある日、でもなく。
【はっきりと】、【正確に】、日時がわかっているということ。
何年、何月、何日、何時。
自分が呼吸を止める日時。
なにかに触れることも、においをかぐことも、見ることも、聞くこともなくなる日時。
無になる日時。
ある決められた日時に死ぬと宣告されることの恐ろしさは、体験した者にしかわからない。
普通の人々が、死という概念に曲がりなりにも耐えることができているのは、知らないからだ。知らないがゆえに、考えずに済んでいるからだ。
が、彼は知っている。
彼は知っている。7ヵ月、2週間、1日、23時間47分後、自分がこの世からいなくなることを。
正確に。
(『死刑囚』アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム:ヘレンハルメ美穂訳)