さらに独占事業ゆえに本来なら広告宣伝費を必要としないはずだが、日経データベースで調べると10年前の243億円が、2007年3月期は286億円とさらに増えている。
不可解なのが「拡販費」「その他販売費」なるものが、宣伝広告費と別にほぼ同額が毎年(約240億円)支出されている。本来は電力供給エリアを他電力会社と争っているわけでもなければ、新聞販売店並みに「拡財」を使って契約を取る必要もないだけに不思議な話である。
(『東京電力 帝国の暗黒』恩田勝亘)
フランス人っていうのは、おかしいと思ったら一人でも闘う。
それがフランス革命を起こしたこの国の伝統で、
フランス人が一番大切にする気質です。
1940年、わたしがドイツ軍に捕まった時、それはちょうど結婚した
ばかりの時期でしたから、指に新しい結婚指輪をつけていたんです。
で、それを見つけたドイツ兵は、無理矢理、指輪を指から盗ろうとした。
もう頭にきてねぇ。一人でも闘おうと決心しました。
捕虜になると、最初に顔写真を撮られます。
ナチスの連中はたかだか証明写真だっていうのに、
わたしの身体をカメラの前に置き、ものすごい力で両脇から押さえつけてきた。
フランス人なら絶対こんな時、闘わなくちゃいけない。
だから、わたしはシャッターが押される瞬間、カメラの前で目一杯
舌を出してやったんですよ。……こんな風にね。
もちろん殴られて、再度写真を撮られることになった。
でもわたしは抵抗をやめませんでしたよ。
何度も何度も、彼らが諦(あきら)めるまで私は舌を出し続けた。
独裁とは一人でも闘う。
小さなことかもしれませんが、
それがフランス人の矜持(きょうじ)なんです。
(『この大地に命与えられし者たちへ』写真・文 桃井和馬)
それがフランス革命を起こしたこの国の伝統で、
フランス人が一番大切にする気質です。
1940年、わたしがドイツ軍に捕まった時、それはちょうど結婚した
ばかりの時期でしたから、指に新しい結婚指輪をつけていたんです。
で、それを見つけたドイツ兵は、無理矢理、指輪を指から盗ろうとした。
もう頭にきてねぇ。一人でも闘おうと決心しました。
捕虜になると、最初に顔写真を撮られます。
ナチスの連中はたかだか証明写真だっていうのに、
わたしの身体をカメラの前に置き、ものすごい力で両脇から押さえつけてきた。
フランス人なら絶対こんな時、闘わなくちゃいけない。
だから、わたしはシャッターが押される瞬間、カメラの前で目一杯
舌を出してやったんですよ。……こんな風にね。
もちろん殴られて、再度写真を撮られることになった。
でもわたしは抵抗をやめませんでしたよ。
何度も何度も、彼らが諦(あきら)めるまで私は舌を出し続けた。
独裁とは一人でも闘う。
小さなことかもしれませんが、
それがフランス人の矜持(きょうじ)なんです。
(『この大地に命与えられし者たちへ』写真・文 桃井和馬)
……もっとわかりやすくいうと、もうひとりのフランケルさんがいた。フラウ・フランケル、フランケルさんの母親。ついさっき、フランケルさんがずいぶん年寄りだといった。とするとフラウ・フランケルをどういえばいいのだろう。石のような、骨みたいな、木のような、化けるほどの年より……ぼくは思うのだけど、きっと100歳をこえていた。そんなにも年をとっていたので、血と肉をもった生きものというよりも、建物に備えつけの家具みたいだった。つまり、生きているというよりも、そこにあるといったほうがぴったりだった。この点、蝶の標本とか、こわれやすい薄手の花瓶と似ていた。動かない。ひとことも口をきかない。(『ゾマーさんのこと』パトリック・ジュースキント:池内紀訳)
まず第一に、経済が大きくなるのに伴って企業も大規模化し、組織も複雑になり、人も増えた。その結果として、内務官僚型の人材が輩出されてきた。一時期、社長室、企画室などといった内部の調整をする部門があたかもその会社の中枢であり、エリートであるとみなされる風潮があった。ここにおいては、現場第一線で利益を上げる者、またコストを削減する者よりも大規模組織の上に乗って各部門の利害を調整していく、上司のQ&Aに適切に答えられる、資料の作成がうまい、会議の進行がうまいといったコーディネーターが評価された。調整能力が重視され、調整型社員がエリートであるとの認識が組織に蔓延したのである。(『スーパーサラリーマンは社外をめざす』西山昭彦)
2世紀に作られたいくつかのパピルス文書の断片は別にして、手書きの福音書として、最も早いものでも4世紀になってからである。4世紀半ばに標準化されるまで、福音書テキストは流動状態にあり、神学上の理由、またその他の理由から、写本作成者による改変を免れることはできなかった。その結果、福音書がどの程度原形を伝えているか、またどの程度編集され、変更を加えられ、浄書の際にどんな誤りが生じたかについて、私たちには一切語る手段がなくなった。あるいはまた別に、たとえばグノーシス派のような、いわゆる異端を抑えようとして初期教会が苦しんだとき、正統を整える必要に合わせて改変があったか、なかったかも問題になるだろう。(『イエスの失われた十七年』エリザベス・クレア・プロフェット:下野博訳)
キリスト教/堀堅士
キリスト教/堀堅士
1970年当時、この領域の研究(左右の脳の違い)ははじまったばかりだった。制御できない発作を起こすてんかん患者に、左右の脳をつなぐ部分(脳梁)を切断する手術が数多く実施され、その結果として研究が進んだのである。(『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・サイトウィック:山下篤子訳)
脳科学/共感覚
脳科学/共感覚
日本の歴史を少しかじったものとして私は知っていた。日本において、多く勝者は自らの手で葬った死者を、同じ手でうやうやしく神とまつり、その葬られた前代の支配者の霊の鎮魂こそ、次の時代の支配者の大きな政治的、宗教的課題であることを。私はここに日本の神まつりのもっとも根本的な意味があると思っていた。(『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛)
日本の知的営みは、時の権力者の意向によって、指導・監査あるいは禁止されたりしてきた。日本の司法に対する概念や社会における法律の地位・扱いは、統治者の都合のよいように変えられ、彼ら自身の振る舞いや統治方法に決定的な影響を与えることはなかった。したがって、集団生活、会社・集団への忠誠、協調的な傾向、個人主義の欠如、なきに等しい訴訟闘争など、日本の社会や文化の典型的な側面とされている事柄は、究極的には、政治的方策に起因するものであり、政治的な目的のために維持されているのである。
“多元的国家論”のモデルとなった国ぐにの権力者と異なり、日本の権力保持者は組織的に権力を行使する。その方法と目的を、有権者は究極的になんら制御(コントロール)できないのである。
(『日本/権力構造の謎』カレル・ヴァン・ウォルフレン)
“多元的国家論”のモデルとなった国ぐにの権力者と異なり、日本の権力保持者は組織的に権力を行使する。その方法と目的を、有権者は究極的になんら制御(コントロール)できないのである。
(『日本/権力構造の謎』カレル・ヴァン・ウォルフレン)
しかし、銀行に行けばお金を下ろせるというのは、目が見える人にとっての常識ではあっても、視覚障害者の場合は必ずしもそうではありません。なぜなら僕たちは、つるつるの画面しかないタッチパネル式のATMではお金を下ろすことができないからです。
凹凸のあるボタンなら、最初の1回だけ目が見える人に教えてもらって位置を覚えておけば、次からは自力で何とか操作ができます。でも、タッチパネル式の場合には、画面が平らで手で触って分かる手掛かりがないため、全盲の僕にはお手上げなのです。また、弱視の人が、一生懸命に表示を見ようと顔を近付けすぎて鼻が当たってしまい、「画面に物を置かないでください」と、ATMの音声アナウンスに怒られたという話は有名です。
(『怒りの川田さん 全盲だから見えた日本のリアル』川田隆一)
凹凸のあるボタンなら、最初の1回だけ目が見える人に教えてもらって位置を覚えておけば、次からは自力で何とか操作ができます。でも、タッチパネル式の場合には、画面が平らで手で触って分かる手掛かりがないため、全盲の僕にはお手上げなのです。また、弱視の人が、一生懸命に表示を見ようと顔を近付けすぎて鼻が当たってしまい、「画面に物を置かないでください」と、ATMの音声アナウンスに怒られたという話は有名です。
(『怒りの川田さん 全盲だから見えた日本のリアル』川田隆一)
また、原因別に見てみると、病苦等11499人、経済生活問題6058人と続く。実は、この数字にはトリックがあり、自殺そのものには犯罪性がないために警察の念入りな捜査による真相究明ができず、家族などの「そういえば病気を苦にしていた」といった曖昧証言がそのまま自殺原因とされるケースがほとんどだ。この問題については、後ほどあらためて詳しく取り上げたいが、そんなことを割り引いて考えれば、実質的には、経済生活問題が一番の原因となる。
昔から、自殺者数の推移は、世の中の状況と密接にかかわってきた。不景気になると自殺者が増え、景気がよくなると自殺者が減るという繰り返して、まれに見る激増を示した平成10年のデータも、なかなか出口が見えない。長引く平成不況の影響なしには語ることはできまい。
(『自殺死体の叫び』上野正彦)
昔から、自殺者数の推移は、世の中の状況と密接にかかわってきた。不景気になると自殺者が増え、景気がよくなると自殺者が減るという繰り返して、まれに見る激増を示した平成10年のデータも、なかなか出口が見えない。長引く平成不況の影響なしには語ることはできまい。
(『自殺死体の叫び』上野正彦)
持ち家は車の取引で稼いだ金で買った。表向きには、ローンを組んだ。アメリカではローンを使うのが一番信用があり、現金を使う人は一番信用がない。「現金しか使えないのは、信用がないからだ」と言われる。(『アメリカ重犯罪刑務所 麻薬王になった日本人の獄中記』丸山隆三)
カネにまつわる検察庁の問題といえば、元大阪高検公安部長によって、調査活動費という裏経費が明るみに出たが、それ以外にもいろいろある。たとえば捜査予備費というのも、その一つだ。それは検察庁全体で2億円から3億円の年間予算があり、事件処理をする度に、そのなかから特別の報奨金が各地検に配られる。被疑者を一人起訴して公判請求すれば5万円、略式起訴なら3万円、起訴猶予でも1万円といったところだった。それらの大半が、地検の幹部の小遣いに化けるシステムである。
つまり、各地検は扱う事件の数が多ければ多いほど、この特別報奨金が分捕れる仕組みになっている。そこで、地検の幹部たちは逮捕者の多い選挙違反を好んであげるのである。
(『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』田中森一)
検察
つまり、各地検は扱う事件の数が多ければ多いほど、この特別報奨金が分捕れる仕組みになっている。そこで、地検の幹部たちは逮捕者の多い選挙違反を好んであげるのである。
(『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』田中森一)
検察
紀元前後に仏教内に革新的運動が起きた。「大乗仏教」の運動である。「大乗」(マハーヤーナ)とは、大きな乗物を意味する。この新しい運動に属する者たちは、みずからの仏教を「大乗」と呼び、それまでの保守的な仏教を「小乗」(ヒーナヤーナ)と呼んだ。「ヒーナ」とは「小さい」よりもむしろ「劣る」を意味する。具体的には部派仏教を指していた。(『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵)
最澄/空海
最澄/空海
いわば「人間にあってコンピューターにないもの」としての、逆にその重要性に光が当てられるようになったのが、認識や思考にあたっての「情動」の役割であり、脳にそくしていえば大脳辺縁系の重要性である。(『ケアを問いなおす 「深層の時間」と高齢化社会』広井良典)
岸田●我々が「見ていない現実」というのは常に、都合の悪い、見たくもない現実ですけれども、その折々の「見たくない現実」というのは、時代によってそれぞれ内容は変わっているとは思います。日本だけではありませんが、とくに日本という国はいろいろな現実を隠蔽して成り立ってきた国ではないかと思います。都合の悪い現実を見ようとする動きもむろんあるわけですけれども、隠そうとする動きもあって、見ようとする動きと隠そうとする動きが対立抗争してきて、むしろ隠そうとする動きが優位に立っているのが日本の歴史だ言えると思います。また、隠そうとするいう動きも別にまとまっているわけではなくて、いろいろな隠し方があり、あっちの人が見ていることをこっちの人は見ていない、こっちの人が見ていることをあっちの人は見ていないというようなこともあるわけですね。現代という時代を、日本人がいちばん見たがっていない現実とは何かという観点から見るならば、この時代の歪みというか閉塞状況といいますか、この時代には何かよく分からないようなことがいっぱいありますが、そういうことがいささか見えてくるんじゃないかと考えます。(『ものぐさ社会論 岸田秀対談集』岸田秀)
マネジャーとリーダーの違いは、一般に考えられているよりもはるかに奥が深いのだ。この違いをないがしろにしている企業は、そのために苦しむことになるだろう。
すぐれたマネジャーと優秀なリーダーのあいだに存在する最も重要な違いは、その関心を集中させている対象だ。
すぐれたマネジャーは「内側に」目を向ける。会社の内部を見る。個人一人ひとりの目標や仕事のスタイル、必要性、そしてやる気の違いに目を向ける。これらの違いは小さく些細なものだが、すぐれたマネジャーは自らこれに注意を払う必要性を自覚している。これらの些細な違いを理解することによって、一人ひとりがその独自の才能をパフォーマンスに反映させられる正しい方向性を見出すことにつながるからだ。
優秀なリーダーは、これとは反対に「外側に」目を向ける。競争の状況を見つめ、将来や前進のための新たな道筋に目を向ける。世のなかのトレンドに目をつけ、そこにさまざまな結びつきや切れ目を探して、抵抗が最も弱いところで自分たちの有利な点をうまく活かそうとする。リーダーは明確なビジョンを持っていなければならず、戦略的な考えを展開し、組織の活性化を図ることが必要だ。この役目をうまくこなして初めて、これが企業の死命を制する役割となることに疑いの余地はない。ところがこの役割は、一人の個人の才能をパフォーマンスに活かすという難しい課題とはまったく何の関係もない。
(『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』マーカス・バッキンガム&カート・コフマン:宮本喜一訳)
西山昭彦
すぐれたマネジャーと優秀なリーダーのあいだに存在する最も重要な違いは、その関心を集中させている対象だ。
すぐれたマネジャーは「内側に」目を向ける。会社の内部を見る。個人一人ひとりの目標や仕事のスタイル、必要性、そしてやる気の違いに目を向ける。これらの違いは小さく些細なものだが、すぐれたマネジャーは自らこれに注意を払う必要性を自覚している。これらの些細な違いを理解することによって、一人ひとりがその独自の才能をパフォーマンスに反映させられる正しい方向性を見出すことにつながるからだ。
優秀なリーダーは、これとは反対に「外側に」目を向ける。競争の状況を見つめ、将来や前進のための新たな道筋に目を向ける。世のなかのトレンドに目をつけ、そこにさまざまな結びつきや切れ目を探して、抵抗が最も弱いところで自分たちの有利な点をうまく活かそうとする。リーダーは明確なビジョンを持っていなければならず、戦略的な考えを展開し、組織の活性化を図ることが必要だ。この役目をうまくこなして初めて、これが企業の死命を制する役割となることに疑いの余地はない。ところがこの役割は、一人の個人の才能をパフォーマンスに活かすという難しい課題とはまったく何の関係もない。
(『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』マーカス・バッキンガム&カート・コフマン:宮本喜一訳)
西山昭彦
人間の生きる営みのすべては問題解決の試みである。患者の運動機能回復もまた問題解決の試みである。そう定義すれば、リハビリテーション治療が患者にとっては「学習」であり、それを援助しようとする者にとっては「教育」であると規定できる。学ぶものと教えられるものとの相互関係の構築。これによってリハビリテーション専門家には「教師」としての立場が与えられる。セラピストは自らの治療が教育的であることを自覚しなければならなくなるのである。(『リハビリテーション・ルネサンス 心と脳と身体の回復 認知運動療法の挑戦』宮本省三)
仏説以前の土着的な輪廻信仰、そして古人の心を真に支配していた土着的な言霊信仰などを想起するならば、この短い物語は、単なる怪異譚ではなく、超現実の存在証明の文章でもなく、土着信仰の強靭な力をわれわれのなかに喚起するために語られ、書きとめられたに相違ない、と私は感じるのである。この物語だけでなく、『遠野物語』や『山の人生』において著者(※柳田國男)が本当に語り伝えたかったのは、日常と怪異という差別以前の、知的な差別以前の、わが国土の精神の始原にほかならない、と私は確信している。(『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫)
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