家康たちが最初に注目したのは、江戸城東方にあった、芦(あし)が茂る半島状態の低湿地で、江戸前島と呼ばれていたところ。今の日本橋、銀座一帯である。すでに、この地域に運河をつくることで湿地のたまり水を排除して土地をつくり、土地造成に結びつけていたが、それだけでは不十分で、やはり新たに土が必要だった。そこで家康たちは、江戸城のすぐ北、当時神田山と呼ばれていた標高20メートルの台地の土を利用することにした。(『この一冊で東京の地理がわかる! 地図と歴史から見えてくる東京の「おもしろ雑学」』正井泰夫監修)