ペリー来航後、横浜が開港される前から、八王子の商人たちは、特産品の生糸を横浜へ運び、オランダの東インド会社と貿易をしていたのだ。(中略)
 八王子の商人は、死角になっていた岬で荷物の受け渡しをして、いわゆる密貿易をおこなっていた。
 八王子~横浜間の“絹の道”は、「裏街道」「お目こぼし街道」と呼ばれ、幕府は見て見ぬふりをしていた。
(『雑学の日本地図300連発! たとえば、ギネスブックにも載った、世界一せまい海峡ってどこ?』博学こだわり倶楽部編)