とくに江戸時代前期、幕府は江戸の地形改造を続けた。地形は改造すれば百万都市へと生まれ変わる特別のものだった。(中略)江戸城の本格的築城や海の埋め立て、玉川上水の建設、洪水対策などである。だが繰り返すが、そうした特徴を持った地形だとは、空から見でもしないとなかなか気づかない。高低差がほんのわずかの尾根が江戸城まで数十キロ続くことを発見し、そこに玉川上水を建設することなどはとくにそうである。家康がなぜ認知できたのか謎だとしか思えない。
 もし江戸がそうした地形だと分かっていれば、秀吉も家康に、江戸を根拠地とさせなかったのではないだろうか。秀吉は、城を攻める際に水攻めなど土木工事をよく行った。地形を見る目もかなりあったはずなのに、見抜けなかったようである。
(『地形で解ける! 東京の街の秘密50』内田宗治〈うちだ・むねはる〉)