大規模なショックあるいは危機をいかに利用すべきか、フリードマンが最初にそれを学んだのは、彼がチリの独裁者であるアウグスト・ピノチェト陸軍総司令官〔本来の発音は「ピノチェー」だが、1973年の軍事クーデター以来、日本では多くの場合「ピノチェト」と表記されてきたため、本訳ではそれに準ずる〕の経済顧問を務めた1970年代半ばのことだった。ピノチェトによる暴力的な軍事クーデターの直後、チリ国民はショック状態に投げ込まれ、国内も超インフレーションに見舞われて大混乱をきたした。フリードマンはピノチェトに対し、減税、自由貿易、民営化、福祉・医療・教育などの社会支出の削減、規制緩和、といった経済政策の転換を矢継ぎ早に強行するようアドバイスした。(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴くナオミ・クライン:幾島幸子、村上由見子訳)

ショック・ドクトリンビクトル・ハラ