時の意味を考えるとき、それは出来事の副産物と考えることもできる。出来事というものは一つ起きると、次の出来事へと進むものである。時は、二つの出来事の積み重ねの中に存続している。アインシュタインは、(警察官から陽子に至るすべての物質をひっくるめて)物も「出来事」だと書いている。なぜなら、出来事はある一瞬、ある場所で、一つの形でしか存在しえないからである。他のどんな一瞬とも違うし、すべてのことは、変わり続けている。この点においてアインシュタインは、「物」もまさに「出来事」だ、というわかりやすい見解を示した。私たちはある「出来事」と他の「出来事」により、「前」と「後」の感覚を得る。同じように、時の長さも(喪失も)、この理論に基づけば理解できる。時は、出来事を通してのみ計ることができるものなのだ。だから、もしもこの出来事がなかったら、時は自然に止まってしまう。また、もし出来事がたった一つしか怒らなくても、世界はどこにも存在できないし、何ものにもなれないだろう。「時」に意味がなくなってしまうからだ。(『刺激的で、とびっきり面白い時間の話 人、暦、時間 神々と「数」の散歩道』アレグザンダー・ウォー:空野羊訳)
時間