人口移動の少ない静的社会では、同じ村落に祖父も孫も住んでいた。つまり、みんなが同じ体験をしていた。同じ体験をしていたので感情や価値観も同質的であった。同質的社会では以心伝心が可能である。自分がこう思うのだから相手も多分そうであろうと推論しても大体当たる。しかし今日のように、背景の違う人間同士が一緒に人生のある瞬間を過ごすような異質的社会になると、自分がこう思うから相手も多分そうであろうと推論できない。自分はこう思うが相手はどうかなときいてみなければわからない。つまり、以心伝心ができないのである。そこで、いちいちことばに出して相互にわかりあう必要が出てきた。
カウンセリングが登場するゆえんである。(『
カウンセリングの技法』
國分康孝)