私はその(※上野)戦争の日も塾の課業を罷(や)めない。上野と新銭座とは二里も離れていて、鉄砲玉の飛んで来る気遣いはないというので、丁度あのとき私は英書で経済(エコノミー)の講釈をしていました。(『新訂 福翁自伝福澤諭吉

氷川清話日本近代史