私は司馬さんの愛読者ではないけれど、『坂の上の雲』は面白いと思っていました。その日も「雲を求めて、坂を上ってきた日本は、その歴史をどう見通すことができるか」という話ができればと考えていました。
ところが司馬さんが、
「結局、雲はなかった。バルチック艦隊の最後の軍艦が沈んだ時から日本は悪くなった」
「日露戦争までの日本史は理解できるが、昭和に入ってから20年間の歴史は他の時代とはまったく違い、断絶している、非連続だ」
と言うに及んで、反論のスイッチが入りました。
坂を上っていって、雲をつかめたかどうかはわからないけれど、かつて夢にまで見た、西欧的な産業国家になったのは事実です。司馬さんのような見方は、西欧コンプレックスそのものだし、東京裁判の図式と変わらないではないか、といつもの調子で言い募ってしまったのです。
2~3日してから嶋中さんが、
「非常に面白い対談になったけれど、司馬さんは我が社にとって貴重な財産です。司馬さんは大変なショックを受けてしまいましたから、雑誌に載せるのはやめにしましょう。『日本の近代』の企画もしばらく凍結しましょう」
と言ってきて、司馬さんとはそれきりになりました。
(『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』伊藤隆)