ところが50年やっても、80年やっても何一つくれない。ボーナスはなし、恩給はなし、とりとめのない商売だ。だからこの商売に入って、銭の愚痴をこぼすのは、そもそも間違いで、昔は俳諧のあとに小ばなしをしたのが落語のはじめなので、お茶だの、お菓子だのをお客様に出して、只で聞かせていた。お金を儲けるといった了見でこの商売をやっていたのでは、おかしみがなくなってくる。落語に出てくるのは、どこか間抜けの人間でお客は、頭を休めようと聞きにくる。(『志ん生芸談』古今亭志ん生)