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正慶孝●本当に数理科学のエッセンスを身につけた人は、数字を使わないでも文脈ですべてを表現できます。現代は文脈を読む力がとても衰えていて、言葉の味わいや意味を読めない時代になりました。実にさびしいことだと思います。

藤原●書いてあることを読む力が衰えた上に、行間を読める人が少なくなっているし、何が書いてないかを読みぬく人は皆無です。読書の楽しみは何が書いてないかを読むことであり、筆者の頭の中を読むのが読書の真髄ですよ。

(『賢く生きる 藤原肇対談集藤原肇
「理」は「筋が通っていること」で「正しさ」や「誠実さ」を表わし、古来の徳目である「義」や「誠」に通じており、利益を意味する「利」よりも格が上である。(藤原肇)
(『ジャパン・レボリューション 「日本再生」への処方箋正慶孝藤原肇
藤原●佐藤(法偀)さんがカッパドキアに宗教の原点を感じ、あそこに何かがあると直観したのは、きっとミトラ教が関係していると思います。ミトラ教は中東の古代の多神教の源流であり、ミトラの母親のアシュトラ信仰として、ゾロアスター(拝火)教の祖先に相当しており、インドでは仏教にも影響を与えています。
 分断し得ない無限のアミトラがアミダになり、浄土思想として阿弥陀信仰の形をとって、西方浄土を拝む儀式に定着しています。また、地中海地方では地母神のアルテミスとして、キリスト教もマリア信仰になっているし、マイトレーヤは普遍性を持つ存在だから、分断した基本単位として基準の意味で、メートル法の語源にもなっています。
(『賢者のネジ 21世紀を動かす「最終戦略論」藤原肇
小室●リパブリックというと、日本人はすぐに共和国と訳したがるけれど、これがそもそも大間違いです。共和ということばは絶対君主としての王様の存在形式ではなく、リパブリックは王様がいるいないに関係がないのです。(『脱ニッポン型思考のすすめ小室直樹藤原肇
「黙っていることは共犯である」(サルトル)『虚妄からの脱出 経済大国の没落と日本文化藤原肇
藤井●プロフェッショナルということばだって、ギルド(職能組合)があって初めて存在し得るわけです。(『間脳幻想 人類の新時代をひらくキー・ワード藤原肇、藤井尚治)
 情報は取るものと考えるのは初歩の発想であり、基本はギブ・アンド・テイクの交換関係だから、提供するものがなければ何も得られないし、相手よりも多くのことを知っていないと、真に価値ある情報は摑み取れないのである。
 結論的に言うと、実力のバランス関係で相手よりも強ければ、ポテンシャルの差で吸い取れるのが情報であり、価値のある情報は相手の側が持ってくるし、知的に追い詰めて本音を叩き出すためにも、信頼される立場を確保することが肝心である。
(『インテリジェンス戦争の時代 情報革命への挑戦藤原肇

インテリジェンス
 それでも、敗戦の瓦礫の中から祖国を復興するために、経済再建の意気に燃えていた頃の自民党には、理想と教養を持つ政治家もいて保守合同に参集したが、経済力がついた70年台に政界が利権の漁場になるに従い、愚民政治による社会の退廃が急速に進み、経済の拡大に反比例して社会倫理が衰退し、政権担当は既得権擁護のためになり果てた。
 田中内閣による金権政治の横行に続いて、中曽根内閣で表と裏の社会が逆転した後は、竹下内閣で暴力団の影響が政策を動かしたので、政治の場は利権取引の舞台にと変貌した。その結果、国会の議席は二世と官僚出身がほぼ占有し、隙間を人気稼業のタレント候補が埋める形で、議会の多数派を利権屋が支配したために、日本の政治から理想や教養が雲散霧消して、国政の関心は数合わせと利権配分になった。
(『夜明け前の朝日 マスコミの堕落とジャーナリズム精神の現在藤原肇

朝日新聞
 その良い例が幕末における攘夷開国であり、攘夷は閉鎖系で「群れ合いの場」が中心だが、開国は開放系で「出会いの場」への評価に基づき、外に向かって開く拡散型のシステムに属している。だから、最初は攘夷の思想が狂気として荒れ狂ったが、冷静になって将来を展望したことで逆序の理に目覚めて、明治の日本人は文明開化の路線に切り替えた。そして、横井小楠の『国是三論』の富国、強兵、士道から、士道を削り「富国・強兵」を国策の指導理念として採用し、日本の近代化を実現するのに成功した。(『さらば、暴政 自民党政権 負の系譜藤原肇〈ふじわら・はじめ〉)