開国派もまた攘夷派であったのだ。「つまり、開国は、攘夷のための実力をたくわえる手段に他ならなかった」という上山(春平)氏の意見に、私は同意する。その見地からすれば、攘夷派の志士たちが後に「簡単に」開国派に転向したことも理解できる。彼らは「攘夷派」を捨てたのではなく、それを「開国論」という迂回戦略に発展させたのだ。(『大東亜戦争肯定論』林房雄)
大東亜戦争/日本近代史
しかし、天皇を「玉」と呼び、どこまでも政争の具として利用しておきながら、また、イギリスの支援を受けながら、「尊皇攘夷」を喚(わめ)き続けた倒幕勢力とは、「官」を名乗りはしているがその実態は「賊」ではなかったか。即ち「官賊」と呼ぶべきものではなかったか。この言葉は、大義なき戦を仕掛けられた会津人たちが、文字通り必死の防衛戦を繰り広げたその時に、実際に使った表現でもある。(『官賊と幕臣たち 列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート』原田伊織)
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