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 増税につぐ増税、「失業者」の増大、マッチや砂糖すら配給(切符制)、……と全国民が一斉に「貧困者」への転落を強要された。それが日中戦争の結末であった。「ぜいたくは敵だ!」の立て看板が銀座など東京に初めて立てられたのは、1940年8月1日であった。婦人のパーマネントも禁止され、ネオンサインも廃止となり、ダンスホールも閉鎖となった。
 このように、日本中が暗く貧しくなり、経済的にも破綻寸前にまでなったが、それは1941年12月のパール・ハーバー奇襲に始まる超大国の米英を相手の戦争によるのではなく、貧弱な兵器や未熟な軍隊の軍事「後進国」にすぎない中国を対手(あいて)とする戦争によってであった。日中戦争の不可解さは実はここにある。これこそはまた、表面上は「無目的」にみえる日中戦争にかけた近衛文麿らの“秘められた戦争目的”をあぶり出す鍵(かぎ)でもある。
(『近衛文麿の戦争責任 大東亜戦争のたった一つの真実』中川八洋)

大東亜戦争
 過去の歴史を支配する者は、未来を支配することもできる。日本は先の戦争に敗れてから、自国の歴史を盗まれた国となってしまった。
 歴史は記憶だ。記憶を喪失した人は、正常な生活を営むことができない。国家についても、同じことである。
(『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか加瀬英明

日本近代史大東亜戦争
 開国派もまた攘夷派であったのだ。「つまり、開国は、攘夷のための実力をたくわえる手段に他ならなかった」という上山(春平)氏の意見に、私は同意する。その見地からすれば、攘夷派の志士たちが後に「簡単に」開国派に転向したことも理解できる。彼らは「攘夷派」を捨てたのではなく、それを「開国論」という迂回戦略に発展させたのだ。(『大東亜戦争肯定論林房雄

大東亜戦争日本近代史
 政治についてだけではない。明治以後の文学史という一側面だけをとってみても、その底には「西洋との対決」という大きな潮流がながれている。『舞姫』のエキゾティシズムから出発した森鴎外は、その晩年において、なぜ『興津弥五右衛門の遺書』と『堺事件』を書き、元老山県有朋と接近したか。『浮雲』の二葉亭四迷はなぜ文学を放棄し、ロシアに赴き、インド洋上で死んだか。夏目漱石の「ロンドンの憂鬱」(イギリス留学時代のはげしいイギリス嫌い)の正体は何であったか。『吾輩は猫』(ママ)で彼が戦った対象は何であったか。乃木大将の殉死がなぜ漱石を衝撃して『こころ』という異常な作品を書かしめたのか。恋愛詩人与謝野鉄幹を「虎と剣の詩人」にしたものは何であったか。石川啄木の「無政府主義」はなぜ「国家主義」に飛躍せざるを得なかったのか。トルストイから出発した武者小路実篤はなぜ戦後の確信的な「日本主義者」であり得るのか。(『大東亜戦争肯定論林房雄

大東亜戦争日本近代史
 ところで明治末からこの時期(1923年)にかけ、米国の一部の州および連邦政府が、日本からの移民の数を西ヨーロッパからの数よりもじゃっかん制限したり、帰化を禁ずる施策を打ち出していた。これは日本の朝野(ちょうや)をたいへん穏やかならざるものにしていた。べつに移民ができなければ、日本の食い詰め人口が野垂れ死ぬといった緊急の利害があったわけではない。そうではなくて、アメリカが日本人をヨーロッパ人並に遇(ぐう)しないと報じられることが、すぐさま、中国大陸内で、中国人の「侮日」(ぶにち)を呼ぶという構図があったからだった。ワシントン条約での対米6割比率の受諾(じゅだく)も、まったく同じように、中国人の侮日をもたらした。(『大東亜戦争の謎を解く 第二次大戦の基礎知識・常識別宮暖朗兵頭二十八

大東亜戦争日本近代史
 7月24日に、アメリカの統合参謀本部は、九州南部に上陸する「オリンピック作戦」を11月1日に開始するように、命じた。
「オリンピック作戦」では、九州南部の35ヶ所の上陸予定地点に、無数の航空母艦、戦艦、巡洋艦などによって援護された14個師団、47万7400人の将兵が、1318隻の輸送船から上陸用舟艇に移乗して、殺到することになっていた。
「オリンピック作戦」は史上最大の作戦となるもので、前年6月に連合軍がフランスに上陸したノルマンディー作戦よりも、規模が大きなものだった。
(『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか加瀬英明

大東亜戦争
「僕は腹のなかでは、アメリカと戦争をやって勝てるとは思っていなかったから、とても憂鬱な気持ちで読み上げましたよ……。あの時はねえ、陸軍が戦争をやるといっていたが、実際にアメリカとやるのは海軍なんだ。海軍が決心しないとやれない。陸軍は自分でやるんじゃないから腹がいたまない、それで勝手なことをいっていたんです。海軍は自分でやるんだから、最終的な決断は海軍がすべきだったんだ。ところが海軍は、できないとはっきりいわんのだ」(『昭和16年夏の敗戦猪瀬直樹

大東亜戦争
「敵味方を超越した広大な陛下の御仁慈を拝察し、これを戦地の住民と敵、特に捕虜に身をもって伝えることだ。そして敵にも、住民にも大御心に感銘させ、日本軍と協力して硝煙の中に新しい友情と平和の基礎とを打ち建てねばならない。われわれはこれを更に敵中に広めて、味方を敵の中に得るまでに至らねばならぬ。日本軍は戦えば戦うほど消耗するのではくて、住民と敵を味方に加えて太って行かなくてはならない。日本の戦いは住民と捕虜を真に自由にし、幸福にし、また民族の念願を達成させる正義の戦いであることを感得させ、彼らの共鳴を得るのでなくてはならぬ。武力戦で勝っても、この思想戦に敗れたのでは戦勝を全うし得ないし、戦争の意義がなくなる。なおこの種の仕事に携わる者は、諸民族の独立運動者以上にその運動に情熱と信念とをもたねばならぬ。そしてお互いは最も謙虚でつつましやかでなくてはならぬ。大言壮語したり、いたずらに志士を気取ったり、壮士然としたりすることを厳に慎しまねばならぬ。そんな人物は大事をなし遂げ得るものではない。われわれはあくまで縁の下の力持で甘んずべきだ。われわれは武器をもって戦う代りに、高い道義をもって闘うのである。われわれに大切なものは、力ではなくて信念と至誠と情熱と仁愛とである。自己に対しても、お互いは勿論、異民族の同志に対しても、また日本軍将兵に対してもそうでなければならぬ。そしてわれわれは絶対の信頼を得なければならぬ。最後に、お互いは今日から死生を共にする血盟の同志となり、君国のために働こう」(『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市)

大東亜戦争日本近代史チャンドラ・ボース
 アメリカが日本に対して一番恐れたのは、日本の精神力でした。武器が何一つなくなったとしても、竹槍をもってでも敵と戦うというその精神力をとても恐れていたのだと思います。その日本の精神力を破壊しようというが(ママ)アメリカの政策であり、マッカーサー元帥はそれを遂行し、成功したのだと思います。(ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ)『インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実 大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。』桜の花出版編集部

日本近代史
 こゝから所謂志士「青年将校」の出現となり、この青年将校を中心とした国家改造運動が日本の軍部をファッショ独裁政治へと押し流して行く力の源泉となつたのであるがこの青年将校の思想内容には二つの面があることを注意する必要がある。その一つは建軍の本義と称せられる天皇の軍隊たる立場で、国体への全面的信仰から発生する共産主義への反抗であり、今一つは小市民層及貧農の生活を護る立場から出現した反資本主義的立場である。(『大東亜戦争とスターリン 戦争と共産主義』三田村武夫)

日本近代史
 右翼には、純情だが頭の悪い人もいて、ひたすら日本を礼賛(らいさん)します。万邦無比(ばんぽうむひ)とはさすがに言わなくなったが、外国語も習わなくていい、外国へも行かない、そんな愛国主義者の中から、大東亜戦争は正しかった、などと三分(さんぶ)の理を主張するお山の大将が出てくるようでは困ります。(『日本人に生まれて、まあよかった平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉)
「あとに続くを信ず」
 大東亜戦争末期、特攻隊の間で最もよく交わされていた言葉である。この言葉を以て特攻隊員が敵に突撃し続ける日本人が陸続と現れることを願ったとするのは、いささか浅薄に過ぎよう。彼らが遺した多くの遺書から読み取れるのは、自らの犠牲の上に立派な日本を作り上げてくれという祈りにも似た声である。
 果たして現在の日本は、彼らの想いに応えているであろうか。靖国に鎮まる英霊は、現在の日本を見て納得するであろうか。
(『日本人の歴史哲学 なぜ彼らは立ち上がったのか岩田温〈いわた・あつし〉)
 司馬(遼太郎)さんの罪は、明治至上主義を流布したことです。司馬さんの歴史観は、明治は明るく正しく、大東亜戦争へと進んだその後の軍部政府は日本史上連続性をもたない例外的な暗黒の時代であったとします。歴史が連続している以上、明治と昭和が断絶しているわけがない。皇国史観も、軍国主義も明治にその萌芽があり、昭和に大きく枝葉を広げたのは間違いないのです。(『日本近代史 「明治維新」という嘘原田伊織監修)

日本近代史
GHQ焚書(ふんしょ)図書」というのは初めて聞く言葉だという人が多いかもしれません。GHQ(連合国軍総司令部)は、いうまでもなく第二次世界大戦の後、日本へ進駐してきた占領軍のことです。そのGHQが焚書をしていたのです。「焚書」というのは、流通している書物を止めてしまうこと、廃棄してしまうことです。紀元前3世紀に「焚書坑儒」(ふんしょこうじゅ)といって、秦の始皇帝が儒教の書物を焼き捨て儒者たちを穴に埋めて殺してしまった有名な事件がありましたが、その事件から焚書という言葉が生まれました。要するに書物を廃棄して国民に読ませないようにすることです。(『GHQ焚書図書開封 1 米占領軍に消された戦前の日本西尾幹二

日本近代史大東亜戦争
 ヨーロッパは500年にわたってアジア・アフリカを搾取した。しかし彼らはけっして謝罪しないし、賠償金も払わない。500年のヨーロッパが謝罪しないのに、3年半の日本が謝罪するのは、外交音痴だ。もしこれがイギリスや中国だったら、「海部首相は利敵行為をした。彼は売国奴である」と罵倒されるに決まっている。英・蘭・仏はなぜ謝罪も賠償金も払わないのか、研究しなさい。(ヤン・ヴィダル夫人〈元新聞記者〉)『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭
はだしのゲン』は『少年ジャンプ』に連載されていたのですが、余りにその偏向の度が過ぎ、読者からのクレームが付きました。連載が休止になったのち、単行本化が進められたのですが、その際に日教組が強力な普及運動を展開したのです。(『人種差別から読み解く大東亜戦争岩田温〈いわた・あつし〉)

人種差別日本近代史
 こうして、ウェーンライト将軍のラジオ放送で米軍の降伏が決定します。
 日本は、それから1年半後の昭和18年(1943年)秋の「大東亜会議」を前にフィリピンの独立を承認します。ラウレルを大統領とするフィリピン共和国を成立させました。いいですか、フィリピンを独立させたのは日本なんです。ここを間違えてはいけません。歴史はそうなっているのです。
 ところが、日本の敗戦で戦争が終わると、アメリカは、もう1回、フィリピンに独立を与えたというかたちにした。いかにも自分たちが独立させてやったというふうにした。しかし私のいまの説明で分かるように、アメリカはここを植民地にし、日本のあとから独立を追認したのであって、フィリピンをアメリカから解放しその独立を認めたのは日本だった。
(『GHQ焚書図書開封 2 バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画西尾幹二

GHQ日本近代史