柴田氏は、『報道されなかった北京 私は追放された』(サンケイ新聞社)という手記の中で、文化大革命当時の中国の異様な雰囲気を生々しく記録している。当時北京に駐在していた日本の商社マンたちは皆、胸にはいつも毛沢東バッジをつけ、商談や接待の前には『毛主席語録』を朗読してみせなければビジネスができない状況だったという。ある商社は「文革の勝利万歳!」「偉大なる毛主席万歳!」と叫びながら街なかをデモ行進までしてみせたという。そうまでして中国に忠誠心を示しながらも、スパイ容疑をかけられ、紅衛兵に両腕をねじあげられたままオフィスの廊下を歩かされたり、殴られて鼻血を流した日本人ビジネスマンも少なくなかったという。民間人だけでなく外交官といえども例外ではなかったようで、柴田氏はイギリス大使館が焼き討ちに遭い、紅衛兵がイギリス人外交官の頭を押さえつけ「頭を下げて謝罪しろ」と責めるのも目撃している。国外追放された柴田氏は北京を脱出する飛行機の中でさえ、スチュワーデスの命令で『毛主席語録』の朗読や毛沢東を賛美する革命歌の歌唱練習をさせられたという。(『なんじ自身のために泣け』関岡英之)
何をしていたかというと、おれはベッドに正座し、デタラメの長唄を唄い、ユカタ姿の中村(誠一)が踊っていたのだ。中村は籐椅子をツヅミのようにかかえ、ヨォーッカッポンカッポンと言いながら踊った。そのうち、籐椅子の底が抜けてしまった。すかさずそれを頭からかぶった。
〽そこで虚無僧こもかぶりぃ~~
唄い踊っていると、部屋のドアが開いて、知らない男が、中腰で踊りながら入って来た。あざやかな手つきだった。時々、ヨォーなどと言いながら中村の側までやって来た。それから妙な手つきで、中村の頭から籐椅子をとってしまい、自分がかぶって踊り続けた。我に返った中村が、踊りをやめ、凄い勢いでまくしたてた。
少しは自信のあるデタラメ朝鮮語でだ。すると驚いたことに、この男はその3倍の勢いで同じ言葉を喋り返した。この【照り返し】にびっくりした中村はそれならと中国語に切り換えた。
男は5倍の速さでついてきた。これはいかんとドイツ語に逃げた。ますます男は流暢になった。イタリア、フランス、イギリス、アメリカと走り回るうちに、男の優位は決定的になってきた。最後に男の顔が急にアフリカの土人になってスワヒリ語を喋り出した時は、おれたちはたまらずベッドから転がり落ちた。すでにそれまでに、笑いがとまらず悶絶寸前だったのだ。
中村はいさぎよく敗北を認め、ところであなたは誰ですか、と訊いた。「森田(もりた)です」とそいつは答え、これがおれにとってタモリの最初の出現だったというわけだ。
(『ピアノ弾きよじれ旅』山下洋輔)
〽そこで虚無僧こもかぶりぃ~~
唄い踊っていると、部屋のドアが開いて、知らない男が、中腰で踊りながら入って来た。あざやかな手つきだった。時々、ヨォーなどと言いながら中村の側までやって来た。それから妙な手つきで、中村の頭から籐椅子をとってしまい、自分がかぶって踊り続けた。我に返った中村が、踊りをやめ、凄い勢いでまくしたてた。
少しは自信のあるデタラメ朝鮮語でだ。すると驚いたことに、この男はその3倍の勢いで同じ言葉を喋り返した。この【照り返し】にびっくりした中村はそれならと中国語に切り換えた。
男は5倍の速さでついてきた。これはいかんとドイツ語に逃げた。ますます男は流暢になった。イタリア、フランス、イギリス、アメリカと走り回るうちに、男の優位は決定的になってきた。最後に男の顔が急にアフリカの土人になってスワヒリ語を喋り出した時は、おれたちはたまらずベッドから転がり落ちた。すでにそれまでに、笑いがとまらず悶絶寸前だったのだ。
中村はいさぎよく敗北を認め、ところであなたは誰ですか、と訊いた。「森田(もりた)です」とそいつは答え、これがおれにとってタモリの最初の出現だったというわけだ。
(『ピアノ弾きよじれ旅』山下洋輔)
中国での買い付けは、基本的に代行業者を介して行います。慣れてくればメーカーや工場と直接取引を行うこともできますが、【最初は代行業者を経由して注文を行ったほうがよい】でしょう。これにはいくつかの理由があります。
1.アカウントや決済サービスの準備が大変
2.日本へ発送できない出品者が多い
3.個別だと送料が割高になる
4.品質も問題もあるので検品が必要
5.価格交渉をやってもらえる(代行業者による)
(『Amazon個人輸入 はじめる&儲ける超実践テク104』大竹秀明)
1.アカウントや決済サービスの準備が大変
2.日本へ発送できない出品者が多い
3.個別だと送料が割高になる
4.品質も問題もあるので検品が必要
5.価格交渉をやってもらえる(代行業者による)
(『Amazon個人輸入 はじめる&儲ける超実践テク104』大竹秀明)
まず、一般的な輸入ビジネスの場合、円高の時には旨みがあるが、円安になると旨みがなくなる。しかし、中国の輸入ビジネスには【円高も円安もあまり影響がない】という。
「たとえば、100円ショップで売っているような安いボールペンは、中国で10円くらいで作られたものが日本に入ってきているの。円安になって10円が12円になっても20円になっても、それくらいの違いなら、それほど大きな影響は出ないのよ。もともとの粗利が大きいから」
(『輸入ビジネスがすらすらデキる本 1日1時間で月収100万円!』佐藤大介)
「たとえば、100円ショップで売っているような安いボールペンは、中国で10円くらいで作られたものが日本に入ってきているの。円安になって10円が12円になっても20円になっても、それくらいの違いなら、それほど大きな影響は出ないのよ。もともとの粗利が大きいから」
(『輸入ビジネスがすらすらデキる本 1日1時間で月収100万円!』佐藤大介)
アメリカは、同盟国群に、「中国が主導するAIIBに参加しないよう」要請(命令)していた。
ところが、概述のようにイギリスは3月12日、G7諸国ではじめて参加を表明。
これに、ドイツ、フランス、イタリア、スイス、ルクセンブルク、オーストラリア、韓国などがつづいた。
これらの国々は、【「アメリカのいうことを聞かなかった」】。
つまり、【アメリカの覇権(支配)を拒否した】。
だからこれは、【「アメリカが覇権を喪失した象徴的事件」】なのです。
そして、アメリカの要求を無視した国々は、【逆に中国のいうことを聞いた】。
もちろん、これで「中国が覇権国家となった」と考えるのは早計過ぎます。
しかし、「覇権に近づいた」とはいえます。
(『中国に勝つ日本の大戦略 プーチン流現実主義が日本を救う』北野幸伯〈きたの・よしのり〉)
ところが、概述のようにイギリスは3月12日、G7諸国ではじめて参加を表明。
これに、ドイツ、フランス、イタリア、スイス、ルクセンブルク、オーストラリア、韓国などがつづいた。
これらの国々は、【「アメリカのいうことを聞かなかった」】。
つまり、【アメリカの覇権(支配)を拒否した】。
だからこれは、【「アメリカが覇権を喪失した象徴的事件」】なのです。
そして、アメリカの要求を無視した国々は、【逆に中国のいうことを聞いた】。
もちろん、これで「中国が覇権国家となった」と考えるのは早計過ぎます。
しかし、「覇権に近づいた」とはいえます。
(『中国に勝つ日本の大戦略 プーチン流現実主義が日本を救う』北野幸伯〈きたの・よしのり〉)
別れに臨んで蒋(介石)は、根本(博)の手を強く握り、
「東亜の平和は、わが国と日本が手を握ってゆく以外に道はない。あなたはかならず中国へ帰ってくるんだ。そして私と協力しよう」
と言った。
(『四万人の邦人を救った将軍 軍司令官根本博の深謀』小松茂朗)
日本近代史
「東亜の平和は、わが国と日本が手を握ってゆく以外に道はない。あなたはかならず中国へ帰ってくるんだ。そして私と協力しよう」
と言った。
(『四万人の邦人を救った将軍 軍司令官根本博の深謀』小松茂朗)
日本近代史
訂正はわずか5秒で終わった。
「両国」を「日台双方」に変えただけだ。
代表処では台湾についてひとつの認識がある。
それは1972年に日本が台湾と国交を断絶し、中華人民共和国、いわゆる中国と国交を結んだときに発表された日中共同声明に基づくものだ。
その中で、中国は「台湾はあくまでも中華人民共和国の一地方にすぎず、『国』として扱ってはならない」と主張している。一方、これに対する日本政府の見解は、この「中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重する」ということになっている。
(『アリガト謝謝(シエシエ)』木下諄一〈きのした・じゅんいち〉)
「両国」を「日台双方」に変えただけだ。
代表処では台湾についてひとつの認識がある。
それは1972年に日本が台湾と国交を断絶し、中華人民共和国、いわゆる中国と国交を結んだときに発表された日中共同声明に基づくものだ。
その中で、中国は「台湾はあくまでも中華人民共和国の一地方にすぎず、『国』として扱ってはならない」と主張している。一方、これに対する日本政府の見解は、この「中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重する」ということになっている。
(『アリガト謝謝(シエシエ)』木下諄一〈きのした・じゅんいち〉)
古代エジプト人はギザの大ピラミッドの建設資材の運搬のために巨大な石の重量に耐える石畳(いしだたみ)の道を整備しました。古代中国では紀元前1100年代頃に大規模な街道を一部石畳で整備し、その後全長を4万kmまで伸ばしたといわれています。インカ人は伝令たちが使う街道をアンデス山脈に張り巡らせ、マヤ人たちもヨーロッパ人による新世界発見より前にメキシコで石畳の道路網を整備しました。古代の道路整備は軍事的な意図も強く、「すべての道はローマに通ず」と言われた古代ローマ帝国の道路は領土の拡大と繁栄に貢献しましたが、その維持補修費は道路を造れば造るほど膨れあがり、帝国滅亡の原因にもなりました。(『道路が一番わかる』窪田陽一監修)
竹山道雄は児童文学の作者である以上に戦後論壇では一大知識人として群を抜く存在感があった。
そんな竹山は左翼陣営からは「危険な思想家」とレッテルを貼られたが、その立場ははっきりしていた。語の根源的な意味における自由主義である。1936(昭和11)年の二・二六事件の後に軍部批判の文章を書くという反軍国主義であり、1940(昭和11)年にナチス・ドイツの非人間性を『思想』誌上で弾劾(だんがい)し、そしてそれと同じように敗戦後は、反米共産主義、反人民主義で一貫した。戦前戦後を通してその反専制主義の立場を変えることはなく、本人にゆらぎはなかった。日本の軍部も、ドイツのヒトラーのナチズムも、ソ連や東ドイツの共産主義体制も、中国のそれも批判した。
(『戦後の精神史』平川祐弘)
そんな竹山は左翼陣営からは「危険な思想家」とレッテルを貼られたが、その立場ははっきりしていた。語の根源的な意味における自由主義である。1936(昭和11)年の二・二六事件の後に軍部批判の文章を書くという反軍国主義であり、1940(昭和11)年にナチス・ドイツの非人間性を『思想』誌上で弾劾(だんがい)し、そしてそれと同じように敗戦後は、反米共産主義、反人民主義で一貫した。戦前戦後を通してその反専制主義の立場を変えることはなく、本人にゆらぎはなかった。日本の軍部も、ドイツのヒトラーのナチズムも、ソ連や東ドイツの共産主義体制も、中国のそれも批判した。
(『戦後の精神史』平川祐弘)
おかゆの旨さに本当に開眼したのは中国においてです。中西医結合によるがん治療をこころざしての初めての訪中が1980年9月。爾来(じらい)、度重なる訪中は100回に達するのではないでしょうか。本場だけあって、中国のおかゆは種類が多いのです。そして、一流ホテルのおかゆが旨い。おかゆの旨さだけでホテルの等級を決めることができそうなくらいです。(『美味しい、おかゆ 元気なときも、調子が悪いときも。体と心が喜ぶ57レシピ』帯津良一〈おびつ・りょういち〉:検見崎聡美〈けんみざき・さとみ〉料理)
レシピ本
レシピ本
農地売却でキャッシュが入ったのはいいが、中国の影に不安や危機感、疑問を持つ住民は少なくなかった。
ある住民が、農業委員会の関係者に中国資本の存在の有無を確認すると、真顔でこう忠告されたという。
「命に気をつけろ」
彼はあきらめ顔で言った。
「今回のことを根掘り葉掘り聞くと危ない――という警告でしょう」
この住民は会話を録音しているという。
(『爆買いされる日本の領土』宮本雅史〈みやもと・まさふみ〉)
ある住民が、農業委員会の関係者に中国資本の存在の有無を確認すると、真顔でこう忠告されたという。
「命に気をつけろ」
彼はあきらめ顔で言った。
「今回のことを根掘り葉掘り聞くと危ない――という警告でしょう」
この住民は会話を録音しているという。
(『爆買いされる日本の領土』宮本雅史〈みやもと・まさふみ〉)
わが国が戦争に負けた1945年8月14日のアメリカの新聞ニューヨーク・タイムズは「我々は初めてペリー以来の願望を達した。もはや太平洋に邪魔者はいない。これで中国大陸のマーケットは我々のものになるのだ」と書きました。この記事は、ペリー以来のアメリカのねらいが何であったかをよく示しています。ペリー来航はマニフェスト・ディスティニー(明白なる運命)と名づけられた世界戦略が、わが国に矛先(ほこさき)を向けた歴史的事件にほかならなかったのです。(占部賢志〈うらべ・けんし〉)『教科書が教えない歴史』藤岡信勝、自由主義史観研究会
日本近代史
日本近代史
Brain washing ということばを、最初に使ったのは、アメリカのジャーナリスト、エドワード・ハンターであった。(『思想改造の心理 中国における洗脳の研究』ロバート・J・リフトン:小野泰博訳)
洗脳
洗脳
文明とは病気である。しかもかなり伝染性の強い病気である。この病気には人類しか罹らない。が、今のところ、いちばんの重病人にはヨーロッパ人とアメリカ人で、それ以外では日本人である。しかし、昔はそうではなく、エジプト人やインド人や中国人がいちばんの重病人であった時代もあった。とは言っても、昔のこの病気はそれほど重症ではなく、伝染性もそれほど強くはなかった。ところが、近頃はますます猖獗をきわめ、加速度的に伝染性を強め、一部のいわゆる未開社会を除いて、ほぼ全人類を席巻せんとする勢いである。(『続 ものぐさ精神分析』岸田秀)
心理学
心理学
那覇市内に「久米」(クニンダー)と呼ばれる地域がある。いまでこそ那覇と陸続きになっているが、18世紀ごろまでは「浮島」と呼ばれる島であった。
その久米は「三十六姓」と呼ばれる中国帰化人の子孫たちの居住区として、一種の租界を形成していたといえる。そして琉球は、この久米の中国帰化人子孫たちによって、間接支配されてきたのである。
ここでは19世紀になっても中国語が話されており、彼らは日清戦争の終了まで、沖縄を中国圏に留めようと画策していた。そして現在も県民の3000人以上が彼らの子孫を自認しており、約10億円の共有預金と会館を有し、いまなお団結は強い。
仲井眞知事、稲嶺惠一前知事はいずれも、この久米三十六姓の子孫である。知事選に当たっては、稲嶺氏は中国帰化人「毛家」の子孫であることを、仲井眞氏は「蔡家」の子孫であることを、リーフレットで誇っていた。
(『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉)
その久米は「三十六姓」と呼ばれる中国帰化人の子孫たちの居住区として、一種の租界を形成していたといえる。そして琉球は、この久米の中国帰化人子孫たちによって、間接支配されてきたのである。
ここでは19世紀になっても中国語が話されており、彼らは日清戦争の終了まで、沖縄を中国圏に留めようと画策していた。そして現在も県民の3000人以上が彼らの子孫を自認しており、約10億円の共有預金と会館を有し、いまなお団結は強い。
仲井眞知事、稲嶺惠一前知事はいずれも、この久米三十六姓の子孫である。知事選に当たっては、稲嶺氏は中国帰化人「毛家」の子孫であることを、仲井眞氏は「蔡家」の子孫であることを、リーフレットで誇っていた。
(『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉)
1930年代に少年期を過ごした日本人にとって、世界は今とはまったく異なるさまに映じていた。狭い日本列島には閉塞感はなく、日本は台湾と朝鮮の支配者であり、1931年には満州の広大な空間と鉱物物資をわがものとしていた。そして1937年以降は中国沿岸全域が日本に押さえこまれていた。
強い国が弱い国を併合し、なおかつ何の責めも受けないのが普通であった時代のことである。こうした行為はよこしまな不道徳な行為であるとか、世界が植民地時代から移り変わりつつあるなどと考える日本人はほとんどいなかった。私自身、日本が世界を――少なくともアジアを救済しているという誇りを抱きつつ大きくなった。
(『チベット偽装の十年』木村肥佐生〈きむら・ひさお〉:スコット・ベリー編:三浦順子〈みうら・じゅんこ〉訳)
日本近代史/チベット
強い国が弱い国を併合し、なおかつ何の責めも受けないのが普通であった時代のことである。こうした行為はよこしまな不道徳な行為であるとか、世界が植民地時代から移り変わりつつあるなどと考える日本人はほとんどいなかった。私自身、日本が世界を――少なくともアジアを救済しているという誇りを抱きつつ大きくなった。
(『チベット偽装の十年』木村肥佐生〈きむら・ひさお〉:スコット・ベリー編:三浦順子〈みうら・じゅんこ〉訳)
日本近代史/チベット
ちなみに、「正史」とは“正しい史実が書かれている歴史書”ではなく、朝廷が制定した「公式の史書」という意味である。これにたいして民間の史書を「野史」(やし)という。これももちろん“野卑(やひ)で粗雑(そざつ)な歴史書”などという意味ではない。この「野」は「野(や)に下る(下野)などというときの「野」である。
「本紀」とならんで「正史」の根幹をなす「列伝」も、われわれが考えるような伝説とはことなり、個人の私的な生涯を叙述するものではない。「列伝」の主題は、その人物がどの皇帝とどのようなかかわりをもったかであって、皇帝制度における公人としての生涯を記録するものである。だから、「列伝」さえ皇帝の歴史の一部なのである。つまり、中国文明の歴史は皇帝の歴史であり、永久に変わることのない「正統」の歴史である。
(『読む年表 中国の歴史』岡田英弘)
「本紀」とならんで「正史」の根幹をなす「列伝」も、われわれが考えるような伝説とはことなり、個人の私的な生涯を叙述するものではない。「列伝」の主題は、その人物がどの皇帝とどのようなかかわりをもったかであって、皇帝制度における公人としての生涯を記録するものである。だから、「列伝」さえ皇帝の歴史の一部なのである。つまり、中国文明の歴史は皇帝の歴史であり、永久に変わることのない「正統」の歴史である。
(『読む年表 中国の歴史』岡田英弘)
沖縄県内には「琉球新報」と「沖縄タイムス」の2紙が存在し、2紙合計県内シェア97%を誇っている。主な収入源は企業広告と死亡広告である。県外紙の構成は記事対広告比率が6対4であるが、地元紙のそれは逆で4対6である。
沖縄では個人が死亡すると、家族が紙面に家族、親戚縁者、友人、関連組織(会社)等個人属性情報を極力広範囲に提示する。そこには個人情報保護もへったくれもないのだ。葬儀は一種の祭りに近く、知り合いの親戚が死亡しても職務をいったん中断して、斎場に赴き焼香するのが習慣となっている。
広告料は2社で寡占状態にあって、縦3cm、横6cmの最小枠でも7万円を要求される。1社に広告を申し込むと間もなくライバル社から電話がかかっているのだ。また他のネットサービス会社が死亡広告会社を立ち上げようと葬儀社にアプローチすると、その度に「地元紙との協定があって一切部外者には提供しない」と断られるという。
(『沖縄が中国になる日』惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉)
沖縄では個人が死亡すると、家族が紙面に家族、親戚縁者、友人、関連組織(会社)等個人属性情報を極力広範囲に提示する。そこには個人情報保護もへったくれもないのだ。葬儀は一種の祭りに近く、知り合いの親戚が死亡しても職務をいったん中断して、斎場に赴き焼香するのが習慣となっている。
広告料は2社で寡占状態にあって、縦3cm、横6cmの最小枠でも7万円を要求される。1社に広告を申し込むと間もなくライバル社から電話がかかっているのだ。また他のネットサービス会社が死亡広告会社を立ち上げようと葬儀社にアプローチすると、その度に「地元紙との協定があって一切部外者には提供しない」と断られるという。
(『沖縄が中国になる日』惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉)
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