考察すること一般を、俗に「分析する」といったり(政治分析、経済分析、現状分析など)、理解すること一般を「分かる」といったりするのであるが、ただ、やみくもに分析したり分解したりすることで、つまりバラバラにすることで「わかった」ということにはならない。分析といっても、分析することで原理に到達し、そこから再構成してみてはじめて、「わかった」ということになるのである。そしてこの基本線は、
アリストテレスから
デカルトまで、古代哲学から現代科学まで貫かれているといってよいであろう。(『
「分ける」こと「わかる」こと』
坂本賢三)