しかし現実には、工業化のための前提条件は、当時すでに十分に満たされていたのである。国を開いた19世紀半ばには、日本には貧富の極端な差はなく、富は広く分配されていた。また手工業の教育訓練を受け、学習意欲のある、というより学習熱に取りつかれた若者がたくさんいた。見事に運営された学校制度があった。総人口との比率で比較すると、ほとんどすべてのヨーロッパ諸国よりも多くの人たちが読み書きができた。
数世紀前から国内市場が栄え、見事に張り巡らされた交通網と、それに付随する道路、運河、船の航路といった産業基盤も完備していた。資金は、贅沢を第一に考える人たち、ではなく、投資事業に意欲を持った人たちの懐の中にあった。
(『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子:田中敏訳)
日本近代史
司馬(遼太郎)さんの罪は、明治至上主義を流布したことです。司馬さんの歴史観は、明治は明るく正しく、大東亜戦争へと進んだその後の軍部政府は日本史上連続性をもたない例外的な暗黒の時代であったとします。歴史が連続している以上、明治と昭和が断絶しているわけがない。皇国史観も、軍国主義も明治にその萌芽があり、昭和に大きく枝葉を広げたのは間違いないのです。(『日本近代史 「明治維新」という嘘』原田伊織監修)
日本近代史
日本近代史
日本は悪いことはしない誓いを立て、悪いことを避けるのを最大限の目標にして生きてきた。戦争は最大の悪だから、絶対これを避ける。自衛の戦争は、することになっているが、領海3マイルから外では、何が起きても関知しない。これを国家の最大限の目標にしてきたのである。
そうしているうちに、日本は萎縮した。矮小化した。卑劣化した。気品を失った。
大きなこと、美しいこと、善いこと、勇敢なこと、ノーブルなこと。これらのすべてを日本は拒否するようになったのである。
戦争と軍隊は手段であり、悪にも善にも奉仕する。ところが、日本人は、戦争と軍隊を悪に見立てることによって、【悪と善の双方を避けるようになったのである】。
(『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉〈『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』増訂〉)
西鋭夫/日本近代史
そうしているうちに、日本は萎縮した。矮小化した。卑劣化した。気品を失った。
大きなこと、美しいこと、善いこと、勇敢なこと、ノーブルなこと。これらのすべてを日本は拒否するようになったのである。
戦争と軍隊は手段であり、悪にも善にも奉仕する。ところが、日本人は、戦争と軍隊を悪に見立てることによって、【悪と善の双方を避けるようになったのである】。
(『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉〈『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』増訂〉)
西鋭夫/日本近代史
終戦直後から今日まで、延々と繰り返されている反日史観(日本断罪史観)の根底は、東京裁判史観と1932年(昭和7年)のコミンテルン・テーゼ(「32年テーゼ」)にある。
「32年テーゼ」とは、ソ連共産党が日本共産党に与えた指令書で、日本を強盗国家・封建的帝国主義国家と一方的に弾劾(だんがい)したものである。しかも、証拠も根拠もお構いなし。終始、嘘でかためた言いっ放しにすぎないが、以来、この指令書は反日的日本人の“聖典”とされつづけた。日本人の「自虐の系譜」はかくも根深い。自国の歴史を他国からズタズタに干渉されることを容認するばかりか、狂喜乱舞してこれに飛びつく――。
(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する』小室直樹)
日本近代史
「32年テーゼ」とは、ソ連共産党が日本共産党に与えた指令書で、日本を強盗国家・封建的帝国主義国家と一方的に弾劾(だんがい)したものである。しかも、証拠も根拠もお構いなし。終始、嘘でかためた言いっ放しにすぎないが、以来、この指令書は反日的日本人の“聖典”とされつづけた。日本人の「自虐の系譜」はかくも根深い。自国の歴史を他国からズタズタに干渉されることを容認するばかりか、狂喜乱舞してこれに飛びつく――。
(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する』小室直樹)
日本近代史
さらに驚くべきは、日本の“侵略”なるものを批判し続ける反日国家・中国の毛沢東首席もが日本の戦争に感謝の言葉を述べていたのである。
昭和39年7月10日、北京を訪れた佐々木更三(こうぞう)日本社会党委員長が過去の戦争に対する中国への謝罪を口にしたとき、毛沢東はこう返したのだった。
《何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです》(毛沢東著『毛沢東思想万歳』下巻、三一書房)
『日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』井上和彦
日本近代史
昭和39年7月10日、北京を訪れた佐々木更三(こうぞう)日本社会党委員長が過去の戦争に対する中国への謝罪を口にしたとき、毛沢東はこう返したのだった。
《何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです》(毛沢東著『毛沢東思想万歳』下巻、三一書房)
『日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』井上和彦
日本近代史
1930年代に少年期を過ごした日本人にとって、世界は今とはまったく異なるさまに映じていた。狭い日本列島には閉塞感はなく、日本は台湾と朝鮮の支配者であり、1931年には満州の広大な空間と鉱物物資をわがものとしていた。そして1937年以降は中国沿岸全域が日本に押さえこまれていた。
強い国が弱い国を併合し、なおかつ何の責めも受けないのが普通であった時代のことである。こうした行為はよこしまな不道徳な行為であるとか、世界が植民地時代から移り変わりつつあるなどと考える日本人はほとんどいなかった。私自身、日本が世界を――少なくともアジアを救済しているという誇りを抱きつつ大きくなった。
(『チベット偽装の十年』木村肥佐生〈きむら・ひさお〉:スコット・ベリー編:三浦順子〈みうら・じゅんこ〉訳)
日本近代史/チベット
強い国が弱い国を併合し、なおかつ何の責めも受けないのが普通であった時代のことである。こうした行為はよこしまな不道徳な行為であるとか、世界が植民地時代から移り変わりつつあるなどと考える日本人はほとんどいなかった。私自身、日本が世界を――少なくともアジアを救済しているという誇りを抱きつつ大きくなった。
(『チベット偽装の十年』木村肥佐生〈きむら・ひさお〉:スコット・ベリー編:三浦順子〈みうら・じゅんこ〉訳)
日本近代史/チベット
「日本軍を指揮した柴(五郎)中佐は、籠城中のどの国の士官よりも有能で経験も豊富であったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつき合う欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになったからだ。日本人の勇気、信頼性そして明朗さは、籠城者一同の賞讃の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである」ピーター・フレミング(『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』ウッドハウス暎子)
日本近代史
日本近代史
こうして、ウェーンライト将軍のラジオ放送で米軍の降伏が決定します。
日本は、それから1年半後の昭和18年(1943年)秋の「大東亜会議」を前にフィリピンの独立を承認します。ラウレルを大統領とするフィリピン共和国を成立させました。いいですか、フィリピンを独立させたのは日本なんです。ここを間違えてはいけません。歴史はそうなっているのです。
ところが、日本の敗戦で戦争が終わると、アメリカは、もう1回、フィリピンに独立を与えたというかたちにした。いかにも自分たちが独立させてやったというふうにした。しかし私のいまの説明で分かるように、アメリカはここを植民地にし、日本のあとから独立を追認したのであって、フィリピンをアメリカから解放しその独立を認めたのは日本だった。
(『GHQ焚書図書開封 2 バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画』西尾幹二)
GHQ/日本近代史
日本は、それから1年半後の昭和18年(1943年)秋の「大東亜会議」を前にフィリピンの独立を承認します。ラウレルを大統領とするフィリピン共和国を成立させました。いいですか、フィリピンを独立させたのは日本なんです。ここを間違えてはいけません。歴史はそうなっているのです。
ところが、日本の敗戦で戦争が終わると、アメリカは、もう1回、フィリピンに独立を与えたというかたちにした。いかにも自分たちが独立させてやったというふうにした。しかし私のいまの説明で分かるように、アメリカはここを植民地にし、日本のあとから独立を追認したのであって、フィリピンをアメリカから解放しその独立を認めたのは日本だった。
(『GHQ焚書図書開封 2 バターン、蘭印・仏印、米本土空襲計画』西尾幹二)
GHQ/日本近代史
天皇陛下を救ったのはマッカーサーである。それも統合参謀本部のように、武装解除に使って、後は切り捨てようなどという、さもしい根性から出たのではない。敗戦国の元首を犯罪人として断罪するなどということは、武人としての彼にはできなかった。そんなことをすれば後日、日本人が必ず怨恨をもつことを、この老将軍は理解していた。
(『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉〈『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』増訂〉)
西鋭夫/日本近代史
(『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉〈『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』増訂〉)
西鋭夫/日本近代史
マッカーサーが“元帥”の称号を望んだのは、「私は大山、黒木、乃木、東郷など日本軍の偉大な司令官たち、あの鉄のように強靭な性格と不動の信念をもった、表情のきびしい、近づき難い男たちに、ぜんぶ会った。……永久に消えることのない感銘を受けた」(『回想記』上)と尊敬していたことから、フィンランドで「東郷ビール」になっていたほどの国際的なスターだった東郷元帥にあやかって、「元帥」と名乗るようになったようです。
マッカーサーはこのような思い入れのある日本で、フィリピンで日本軍に敗走、オーストラリアへ遁走したことが報じられ、ヨーロッパでも、ヒトラーからは「逃走将軍」と侮(あなど)られ、ムッソリーニからも「卑怯者」と罵(ののし)られていたのです。
それらの汚名を一気に晴らす一世一代の大舞台が厚木飛行場だったのです。
(『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲)
GHQ/日本近代史
マッカーサーはこのような思い入れのある日本で、フィリピンで日本軍に敗走、オーストラリアへ遁走したことが報じられ、ヨーロッパでも、ヒトラーからは「逃走将軍」と侮(あなど)られ、ムッソリーニからも「卑怯者」と罵(ののし)られていたのです。
それらの汚名を一気に晴らす一世一代の大舞台が厚木飛行場だったのです。
(『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲)
GHQ/日本近代史
東アジアにおけるイギリスの最大拠点だったシンガポールが日本の手で陥落した際、フランスの軍人(のちの大統領)ド・ゴールは「アジアの白人帝国の終焉(しゅうえん)だ」と日記に書き記しています。
「日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかにした点にある。(イギリスの歴史学者アーノルド・トインビー)
「民族主義者は日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである」(コロラド大学教授J・C・レブラ)
(『学校では絶対に教えない植民地の真実 朝鮮・台湾・満州』黄文雄〈コウ・ブンユウ〉)
日本近代史
「日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかにした点にある。(イギリスの歴史学者アーノルド・トインビー)
「民族主義者は日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである」(コロラド大学教授J・C・レブラ)
(『学校では絶対に教えない植民地の真実 朝鮮・台湾・満州』黄文雄〈コウ・ブンユウ〉)
日本近代史
日本人は山水庭園に関する世界一の造園家です。私たち西洋人は「絨毯(じゅうたん)式造園美をよし」とするいまだ未熟な世界にいる自分に気づきます。日本の天才は1ヤード[90センチ]角でも、1000フィート[300メートル]角の広さでも自由自在に植物を育て仕上げることができます。この国の庭師は、フランスのメイドや英国の四輪馬車御者と同様、今や米国の公共施設には欠かせない職業として重んじられています。自然を愛し花を崇拝した先祖の血筋を引く気高い日本版アダム[人類の祖]の同業集団は、生長する植物への深い愛情や、米国人には理解できない専門能力を受け継いできました。そしてこの国の農業はすべて芸術的で、ほとんど魔術的な庭造りをしています。(『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア:外崎克久訳)
日本近代史
日本近代史
ところで明治末からこの時期(1923年)にかけ、米国の一部の州および連邦政府が、日本からの移民の数を西ヨーロッパからの数よりもじゃっかん制限したり、帰化を禁ずる施策を打ち出していた。これは日本の朝野(ちょうや)をたいへん穏やかならざるものにしていた。べつに移民ができなければ、日本の食い詰め人口が野垂れ死ぬといった緊急の利害があったわけではない。そうではなくて、アメリカが日本人をヨーロッパ人並に遇(ぐう)しないと報じられることが、すぐさま、中国大陸内で、中国人の「侮日」(ぶにち)を呼ぶという構図があったからだった。ワシントン条約での対米6割比率の受諾(じゅだく)も、まったく同じように、中国人の侮日をもたらした。(『大東亜戦争の謎を解く 第二次大戦の基礎知識・常識』別宮暖朗、兵頭二十八)
大東亜戦争/日本近代史
大東亜戦争/日本近代史
以上の二つの論説を通読すれば、当初アメリカのジャーナリズムが、日本の降伏を【有条件降伏】と理解し、連合軍の日本占領を【保障占領】と理解していたことは、あまりにも明瞭といわなければならない。
彼らは、日本全土が「聯合軍の侵攻を受けてをら」ず、日本軍が「完全に敗北してゐない」ことをよく知っていた。換言すれば、ポツダム宣言受諾から降伏文書調印までの半月余りのあいだ、この点についてのジャーナリズムのあいだにはほぼ共通の理解が存在していたのである。
(『忘れたことと忘れさせられたこと』江藤淳)
日本近代史
彼らは、日本全土が「聯合軍の侵攻を受けてをら」ず、日本軍が「完全に敗北してゐない」ことをよく知っていた。換言すれば、ポツダム宣言受諾から降伏文書調印までの半月余りのあいだ、この点についてのジャーナリズムのあいだにはほぼ共通の理解が存在していたのである。
(『忘れたことと忘れさせられたこと』江藤淳)
日本近代史
「改憲」は、「1946年に日本人は天皇を守れなかった」という歴史を意志的に固定する行為になってしまいます。それは将来の日本人の「国防の意志」に対して、ぬぐうことのできない汚損(おそん)を刷り込むでしょう。日本人によって一度演じられたそのような全面敗北は、将来また、起こしてやれるはずだと、外国人にも期待をさせてしまうでしょう。(『「日本国憲法」廃棄論』兵頭二十八)
憲法/日本近代史
憲法/日本近代史
「敵味方を超越した広大な陛下の御仁慈を拝察し、これを戦地の住民と敵、特に捕虜に身をもって伝えることだ。そして敵にも、住民にも大御心に感銘させ、日本軍と協力して硝煙の中に新しい友情と平和の基礎とを打ち建てねばならない。われわれはこれを更に敵中に広めて、味方を敵の中に得るまでに至らねばならぬ。日本軍は戦えば戦うほど消耗するのではくて、住民と敵を味方に加えて太って行かなくてはならない。日本の戦いは住民と捕虜を真に自由にし、幸福にし、また民族の念願を達成させる正義の戦いであることを感得させ、彼らの共鳴を得るのでなくてはならぬ。武力戦で勝っても、この思想戦に敗れたのでは戦勝を全うし得ないし、戦争の意義がなくなる。なおこの種の仕事に携わる者は、諸民族の独立運動者以上にその運動に情熱と信念とをもたねばならぬ。そしてお互いは最も謙虚でつつましやかでなくてはならぬ。大言壮語したり、いたずらに志士を気取ったり、壮士然としたりすることを厳に慎しまねばならぬ。そんな人物は大事をなし遂げ得るものではない。われわれはあくまで縁の下の力持で甘んずべきだ。われわれは武器をもって戦う代りに、高い道義をもって闘うのである。われわれに大切なものは、力ではなくて信念と至誠と情熱と仁愛とである。自己に対しても、お互いは勿論、異民族の同志に対しても、また日本軍将兵に対してもそうでなければならぬ。そしてわれわれは絶対の信頼を得なければならぬ。最後に、お互いは今日から死生を共にする血盟の同志となり、君国のために働こう」(『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市)
大東亜戦争/日本近代史/チャンドラ・ボース
大東亜戦争/日本近代史/チャンドラ・ボース
アメリカが日本に対して一番恐れたのは、日本の精神力でした。武器が何一つなくなったとしても、竹槍をもってでも敵と戦うというその精神力をとても恐れていたのだと思います。その日本の精神力を破壊しようというが(ママ)アメリカの政策であり、マッカーサー元帥はそれを遂行し、成功したのだと思います。(ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ)『インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実 大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。』桜の花出版編集部
日本近代史
日本近代史
近代の人間の特質は、財(富)を肯定的にとらえることである。これに背を向けた思想は近代思想の仲間にはなれなかった。近代思想は財に対してこれをどう蓄積するか、管理するかという問題にとりくんできた。非主流の思想さえ、現実世界での豊かさを追求してきた。徳川幕府以降の近代日本において、仏教は生産労働、財の蓄積といった問題に関して、ガイドラインになるような思想形態を生み出すことはできなかった。(中略)
空の思想は元来、富の蓄積とは反対の方向に走っているのである。
(『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵)
空の思想は元来、富の蓄積とは反対の方向に走っているのである。
(『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵)
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