脳が実行していることを模倣するというキュビスムの試みは、神経科学的には失敗であった。勇気ある失敗であったかもしれないが、失敗であることに変わりはないのである。(『脳は美をいかに感じるか ピカソやモネが見た世界』セミール・ゼキ)
脳科学
真実を追求する時が来た。
事情聴取や取り調べにおけるキネシクス分析のプロセスは、“ベースライン”を見きわめることから始まる。ベースラインとは、分析対象が事実を語っているときに示すボディランゲージの目録のようなものだ。両手をどの位置に置くか、答えるとき視線をどちらに向けるか、その方角をどの程度の頻度で見るか、唾を呑みこんだり咳払いをしたりといったことを繰り返すか、“えーと”といった間投詞を頻繁に使うか、爪先で床を叩いたりするか、背を丸めるか、身を乗り出すようにするか、答える前にためらうか。
(『ロードサイド・クロス』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳)
事情聴取や取り調べにおけるキネシクス分析のプロセスは、“ベースライン”を見きわめることから始まる。ベースラインとは、分析対象が事実を語っているときに示すボディランゲージの目録のようなものだ。両手をどの位置に置くか、答えるとき視線をどちらに向けるか、その方角をどの程度の頻度で見るか、唾を呑みこんだり咳払いをしたりといったことを繰り返すか、“えーと”といった間投詞を頻繁に使うか、爪先で床を叩いたりするか、背を丸めるか、身を乗り出すようにするか、答える前にためらうか。
(『ロードサイド・クロス』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳)
ディオニュシオスが死の床にあるとき、臣下たちが彼に、以前の借金の返済を求めた。すべて貨幣による借金だった。するとディオニュシオスは、一枚のドラクマ硬貨を、これは2ドラクマであると刻印しなおすことで、硬貨の価値を半分にした。この細工によって、彼は自分の手元にあるすべての貨幣の額面価値を取り戻し、残り半分で借金を支払うことができた。(『紙の約束 マネー、債務、新世界秩序』フィリップ・コガン:松本剛史訳)
マネー
マネー
古代ウパニシャッドには、ヴェーダの祭式主義がなお名残(なご)りをとどめているが、はっきりとその表面に浮かび出てくるのは、祭式主義を脱皮して、宇宙の根源や人間の本質を主知主義的に究めようとする態度である。ウパニシャッドを転回点として、インド思想史上に新しい時代が開けてくる。表現はまだ理論的ではなく、神話的・直観的であるが、後代に学説化されるさまざまな思想の芽生えがそこには見られ、そして、宇宙原理ブラフマンと個体原理アートマンとの合一説に至って、哲学的な深まりは極致に達する。インド人の人生観に強い影響力をもつ業(ごう)・輪廻(りんね)の思想もここにはじめて確立される。(「インド思想の潮流」長尾雅人、服部正明)
(『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集)
バラモン/ヒンドゥー教
(『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集)
バラモン/ヒンドゥー教
もし暗殺が決行され、木村が東條とともに死んでも、牛島も間違いなく逮捕されて死刑になっていただろう。だから牛島は木村に仕事を押しつけたわけではない。決行するには若い木村の方が成功率が高くなると考えていたのだ。天覧試合時にも木村だけにきつい思いをさせることは絶対になかった牛島だ。全国民を守るため弟子の木村もろとも玉砕の覚悟だったのだ。
勝負師牛島は、国の大事に、絶対に成功させなければならない計画に、自身が最も信頼する超高性能の“最終兵器”木村政彦を選んだのだ。もし内閣総辞職があと数日遅れれば、木村が東條暗殺を決行し、人間離れした身体能力と精神力で間違いなくそれを成功させたであろう。日本史は大きく塗り替っていたに違いない。
(『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也)
勝負師牛島は、国の大事に、絶対に成功させなければならない計画に、自身が最も信頼する超高性能の“最終兵器”木村政彦を選んだのだ。もし内閣総辞職があと数日遅れれば、木村が東條暗殺を決行し、人間離れした身体能力と精神力で間違いなくそれを成功させたであろう。日本史は大きく塗り替っていたに違いない。
(『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也)
簡単に言うと、一見したところ人間は、おのれの存在を創り出し、おのれ自身を基礎づける自由な存在のように見えるが、他方では制約や限定に従っているもののようにも見える。それらの全体が、人間が生まれ、地上に存在する者となって以来、彼に対して与えられているものである。私はそれを人間の条件と呼ぶ。彼の自由、あるいは自分は自由であるという感情・錯覚・不安もまた同様に人間の条件の部分になっている。なぜならこのような条件においても彼は真の人間だからである。そして私は、人間が人間の条件を引き受けなくてはならない必然性に対して、儀礼がどのような関係を持つことができるかを探求したいと考える。その仕事は、人間の条件となっているあらゆるものから、できる限り解放されるように努めること、あるいはその反対に、そこに閉じこもることにおいて成立することができよう。(『儀礼 タブー・呪術・聖なるもの』J・カズヌーヴ:宇波彰〈うなみ・あきら〉訳)
釈尊の宗教の中に潜在、あるいは顕在する秘密行の要素は、従来決して看過されていただけではない。
『中阿含』『超阿含』並びに『四分律』等によると、仏は最初、弟子たちに対し、世俗の呪術密法を行なうことを厳禁し、もしそれを犯すものは波逸提を犯すと説き、さらにパーリ経典の小品小事篇第五には、この世俗の密法をもって「畜生の学」とまで弾訶せられた事実が早くから学者の指摘するところとなっている(拇尾祥雲『秘密仏教史』、昭和8年、高野山大学出版部、6頁)。
しかし、この禁は【年と共に】ゆるみ、かの羅什訳『十誦律』第四十六(大正蔵、二十三巻、337頁以下)等に説くごとく、仏道修行の妨害になるような悪呪密法はもちろんこれを禁じたけれども、治毒呪とか、治歯呪とかいうごとき、一身を守護し、みずから慰安を得るがごとき善呪は、それを誦持するも妨げなしとして、ついにそれを黙許するにいたっている(同前、7頁)。このような理解のあと、近時、ようやく学者の注目――奈良康明氏等の――を浴びるにようなった『防護呪』の出現に触れてゆく(同前)。
(『密教成立論 阿含経典と密教』金岡秀友)
密教
『中阿含』『超阿含』並びに『四分律』等によると、仏は最初、弟子たちに対し、世俗の呪術密法を行なうことを厳禁し、もしそれを犯すものは波逸提を犯すと説き、さらにパーリ経典の小品小事篇第五には、この世俗の密法をもって「畜生の学」とまで弾訶せられた事実が早くから学者の指摘するところとなっている(拇尾祥雲『秘密仏教史』、昭和8年、高野山大学出版部、6頁)。
しかし、この禁は【年と共に】ゆるみ、かの羅什訳『十誦律』第四十六(大正蔵、二十三巻、337頁以下)等に説くごとく、仏道修行の妨害になるような悪呪密法はもちろんこれを禁じたけれども、治毒呪とか、治歯呪とかいうごとき、一身を守護し、みずから慰安を得るがごとき善呪は、それを誦持するも妨げなしとして、ついにそれを黙許するにいたっている(同前、7頁)。このような理解のあと、近時、ようやく学者の注目――奈良康明氏等の――を浴びるにようなった『防護呪』の出現に触れてゆく(同前)。
(『密教成立論 阿含経典と密教』金岡秀友)
密教
呪術とはシンボリズムの体系ということができる。なぜなら呪術の世界では、シンボル――すなわち、形が呪力を生み出すと考えるからである。キリスト教世界では十字形が悪魔を祓うなどの力を発揮することはよく知られているが、このほかにもさまざまな呪的シンボリズムが私たちの周りには溢れている。たとえば神域の注連縄(しめなわ)、引き出物の水引、神木に結ばれたお神籤(みくじ)、これらはみな、魂などをつなぎ止める「結び」の呪術を表わしている。古墳の壁画や石棺・埴輪(はにわ)などの装飾に使われる直弧文(ちょっこもん)も結びの呪術の一種で、古墳に葬られた人の魂を護り、悪霊(あくりょう)の立ち入りを阻止する意味があった。(『呪術・占いのすべて 「歴史に伏流する闇の系譜」を探究する!』瓜生中〈うりゅう・なか〉、渋谷申博〈しぶや・のぶひろ〉)
それから数千年(人類300万年という長い歴史からすればほんの一瞬)が経過して、人類は初めて新しい表現方法を発見した。文字の祖先である芸術だ。オーストラリアとタンザニアで発見された人類最古の洞窟絵画は、4万5000年以上前のものだ。私たちの祖先は、30万年前から石に奇妙な形を刻んだりしているが、これはそれとはまったく異なったもので、はっきりと動物や人間が描かれている。しかも、ある特定の集団、あるいは地域の限定されるものではない。今日までに、五大陸の160の国々で1000万以上の旧石器時代の絵画や印刻が発見されている。古代民俗学者エマニュエル・アナティ〔イタリア人、1930年生まれ〕は、こうした洞窟芸術の遺跡――宗教的用語を用いれば多くは「聖堂」ともいえる洞穴――を、「文字の発明以前の人類の歴史に関する最も膨大な資料」と言っている。(『人類の宗教の歴史 9大潮流の誕生・本質・将来』フレデリック・ルノワール:今枝由郎訳)
アルフレードはうれしそうにいいました。「ほんとうに小さな植物もかわいらしい松ぼっくりも、せいたかのっぽの花も大きな海の波も、はるかかなたにある壮大な銀河も、みんなきみの数でできているんだよ、レオナルド」(『フィボナッチ 自然の中にかくれた数を見つけた人』ジョセフ・ダグニーズ文、ジョン・オブライエン絵)
文明が人間の適応能力を越えて生んだもう一つのものは、情報である。
アメリカのエール大学の図書館の蔵書は、18世紀のはじめ、およそ1000冊しかなかった。これがほぼ16年ごとに倍増している。これが今後とも同じくらいの割合で増大していくと、2040年には、蔵書は2億冊を数え、書棚は総延長6000マイル、そのカード目録室は8エーカーの広さになり、毎年新規に入ってくる1200万冊のカード作りのために6000人の司書が必要になる。
科学論文雑誌の数も、指数関数的にふえていく。1750年には、科学論文雑誌は世界に10種類しかなかった。それが50年ごとに10倍になっていき、1830年には、約300種となった。これは1人の人間の読書可能量を越える。
そこで、重要な論文のレジュメを集めた抜粋誌が現われた。ところがこれも50年ごとに10倍のテンポで増加し、ついに1950年には抜粋誌が300種類も出るようになってしまった。
知識の量の増大とともに、知識の分野の細分化が起こりはじめている。(中略)
全米科学技術者登録名簿に記載されている専門分野の内容を見ると、これがよくわかる。1945年には、900以上の専門分野が数えられている。
こういった事実に象徴的に現われているように、現代の人間は、情報の洪水に溺れつつある。ヒトの生物的適応能力の面だけではなく、人間の精神的な適応能力の面でも、人類は文明のスピードに追いつけなくなってきているのではないだろうか。先進国での精神病患者数の増大は、この一つの現われであるように見受けられる。
(『文明の逆説 危機の時代の人間研究』立花隆)
アメリカのエール大学の図書館の蔵書は、18世紀のはじめ、およそ1000冊しかなかった。これがほぼ16年ごとに倍増している。これが今後とも同じくらいの割合で増大していくと、2040年には、蔵書は2億冊を数え、書棚は総延長6000マイル、そのカード目録室は8エーカーの広さになり、毎年新規に入ってくる1200万冊のカード作りのために6000人の司書が必要になる。
科学論文雑誌の数も、指数関数的にふえていく。1750年には、科学論文雑誌は世界に10種類しかなかった。それが50年ごとに10倍になっていき、1830年には、約300種となった。これは1人の人間の読書可能量を越える。
そこで、重要な論文のレジュメを集めた抜粋誌が現われた。ところがこれも50年ごとに10倍のテンポで増加し、ついに1950年には抜粋誌が300種類も出るようになってしまった。
知識の量の増大とともに、知識の分野の細分化が起こりはじめている。(中略)
全米科学技術者登録名簿に記載されている専門分野の内容を見ると、これがよくわかる。1945年には、900以上の専門分野が数えられている。
こういった事実に象徴的に現われているように、現代の人間は、情報の洪水に溺れつつある。ヒトの生物的適応能力の面だけではなく、人間の精神的な適応能力の面でも、人類は文明のスピードに追いつけなくなってきているのではないだろうか。先進国での精神病患者数の増大は、この一つの現われであるように見受けられる。
(『文明の逆説 危機の時代の人間研究』立花隆)
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