読書が人間の習慣になったのは新しい現象で、日本で読書の広がりが出てきたのは円本が出版された昭和の初め頃からでしょうから、まだ80年くらいのものではないですか。円本が出るまでは、本は異常に高かった。いずれにせよ、現代でも日常的に読書する人間は特殊な階級に属しているという自己意識を持つ必要があると思います。
読書人口は、私の皮膚感覚ではどの国でも総人口の5パーセント程度だから、日本では、500~600万人ではないでしょうか。その人たちは学歴とか職業とか社会的地位に関係なく、共通の言語を持っている。そしてその人たちによって、世の中は変わって行くと思うのです。
(『人間の叡智』佐藤優)
ルクレティウス(※紀元前99年頃-紀元前55年)は次のように提唱した。宇宙は、宇宙空間を不規則に動きまわる無数の原子で構成されており、それらが日光の中に漂うほこりのように、衝突し、つながりあい、複雑な構造を形作り、またばらばらになり、創造と破壊のプロセスを絶え間なくくりかえしている。このプロセスから逃れる道はない。夜空を見上げ、わけもなく感動し、無数の星々に驚嘆するとき、見えているのは、神の創造物でもなければ、われわれの仮の世から切り離された透明球体でもない。そこに見えているのは、人間がその一部をなす物質界、人間を構成するのと同じ元素からなる物質界である。神の基本計画も、造物主も、知性ある設計者も存在しない。われわれが属する種を含め、万物は、茫漠たる歳月を経て進化してきたのだ。進化は一定ではない。ただし生物の場合、自然選択の原理を伴う。すなわち、生存と繁殖に適した種が、少なくとも一定の期間は、存続するのだ。適していない種は短期間で滅びる。だが、われわれの種も、われわれが生きる惑星も、毎日輝く太陽も、どれも永遠に続くものではない。ただ原子のみが不滅である。(『物の本質について』)『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』スティーヴン・グリーンブラット
「この幸三」
と書いて点を入れ、いっぺん筆にスミを含ませた。大きく深呼吸し、あとは息を止めて一気に書いた。
「名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」
母が縫い物するのに使う三尺の物差し、その裏側に、こう書いたんです。われながらあっぱれなカナクギ流でね。(中略)
そう、日本一の将棋指しになるために、私は家出したんです。時は昭和7年の2月、数えの15歳、満では13歳でした。手にした風呂敷包みの中には、昼のうち用意しておいた握りめしと、着がえの下着が何枚かだけ。ゼニは一銭も持っておらなかった。
(『名人に香車を引いた男 升田幸三自伝』升田幸三)
と書いて点を入れ、いっぺん筆にスミを含ませた。大きく深呼吸し、あとは息を止めて一気に書いた。
「名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」
母が縫い物するのに使う三尺の物差し、その裏側に、こう書いたんです。われながらあっぱれなカナクギ流でね。(中略)
そう、日本一の将棋指しになるために、私は家出したんです。時は昭和7年の2月、数えの15歳、満では13歳でした。手にした風呂敷包みの中には、昼のうち用意しておいた握りめしと、着がえの下着が何枚かだけ。ゼニは一銭も持っておらなかった。
(『名人に香車を引いた男 升田幸三自伝』升田幸三)
逆命利君という言葉がある。これは、中国は漢時代の「説苑」(ぜいえん)にある「命に逆らいて君を利する、之を忠と謂(い)う」という一節からきている言葉だ。これは、主君、社長、上司はもちろんのこと、友人や他人を問わず、権力者に直言して、国益や社益を誤らせずに、賢い指導者としてのイメージも正すという意味である。(『アメリカ殺しの超発想 「奴隷」日本よ、目を醒ませ! 制度疲労をすぐ正せ!』霍見芳浩)
兄の異常な真剣さは、先ず自分の仕事、それから、それまで夢中になって来た陶器や画のすべてにみられる。鉄斎の六曲一双の大屏風を3時間以上ながめていたり、雪舟の「山水長巻(さんすいちょうかん)」の五十何尺とある長い絵巻の前を行ったり来たりているうちに、全く絵の中の二人の男と一緒に自分も小道を歩き、丘にのぼり、洞門のうちに休み、一緒に山水を眺める。高野山で「来迎図」を見るために、何度となく博物館に行っては。何もかも忘れて長い時間をすごす。
「錬金術師のような執念と、きびしく深さをたたえた美意識……」
と誰かが兄を批評していたが、それは仕事に対しても勿論強く出るのだが、純粋に美だけの探求には、魔物がその上に顔を出す。
(『兄 小林秀雄との対話 人生について』高見沢潤子)
小林秀雄
「錬金術師のような執念と、きびしく深さをたたえた美意識……」
と誰かが兄を批評していたが、それは仕事に対しても勿論強く出るのだが、純粋に美だけの探求には、魔物がその上に顔を出す。
(『兄 小林秀雄との対話 人生について』高見沢潤子)
小林秀雄
不平家とは、自分自身と決して折り合わぬ人種をいうのである。不平家は、折り合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが、環境と闘い環境に打勝つという言葉もほとんど理解されてはいない。ベエトオヴェンは己れと戦い己れに打勝ったのである。言葉を代えて言えば、強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るがままの環境であって、そこに何一つ欠けているところも、不足しているものもありはしない。不足な相手と戦えるわけがない。好もしい敵と戦って勝たぬ理由はない。命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。だが、空想的ではない。これは、社会改良家という大仰(おおぎょう)な不平家には大変難しい真理である。彼は、人間の本当の幸不幸の在処(ありか)を尋ねようとした事は、決してない。
(『モオツァルト・無常という事』小林秀雄)
(『モオツァルト・無常という事』小林秀雄)
東●さらに言い換えれば、これ(池田小事件、酒鬼薔薇事件など)は事件の物語化ができないということです。いかなる社会でも一定数の犯罪は必ずある。それにぶつかるかどうかは、個人の視点からは偶然でしかない。だからそれを封じこめるためにセキュリティの装置がはりめぐらされる。そして他方では、その物語の不在を埋め合わせるため――この部分では大澤さんと同じロジックになるわけですが――過剰に物語的な物語、いわゆる「トラウマ」や「癒し」といった言説が流行する。社会秩序は基本的には環境管理で守って、それでも起きてしまった事故を物語化するため、別のレベルでわかりやすい言説が要請される。そういう二層構造があるような気がします。
(『自由を考える 9.11以降の現代思想』東浩紀、大澤真幸)
(『自由を考える 9.11以降の現代思想』東浩紀、大澤真幸)
アイヒマンはアウシュヴィッツとマイダネック強制収容所を視察した結果、そこでの抹殺工程を考え出した人物でもあった。ただし、彼は他人が苦しむのを見て快楽を覚えるサディストではなかった。アイヒマンはほとんど事務所の中で自らの仕事に専念し、結果として数百万の人間を死に追いやったのである。一官僚として、彼は死に追いやられる人間の苦痛に対し、何の感情も想像力も有してはいなかった。(『アイヒマン調書 イスラエル警察尋問録音記録』ヨッヘン・フォン・ラング編:小俣和一郎訳)
この高い所から、このように自慢を申し上げる藤原ていという婆ちゃんは、あるいは幸せ者かも知れません。(中略)ただ今、お話ししましたことは、すべて私ごときにもできたことです。皆様方にできないはずはございますまい。勇気を持っていただきたいと思います。(『妻として母としての幸せ』藤原てい)
藤原正彦
藤原正彦
なるほど現代商品経済社会もまた、多くの片仮名語や新造漢語を生んだ。それもまた人類史上の文化的価値にはちがいない。しかしその一方で、理想の人間の共同を語る言葉は次第に痩せこけてきた。その衰弱した現代日本語を背景に、神戸のなんともやりきれない事件は起こっている。人間の共同社会の理想を明るみに出し、未来のあるべき仕事と生活のスタイルを思い描き、その希望を語る生き生きとした言葉を我々の周囲に満ちあふれさせることができれば、確実に、神戸のような事件は姿を消していく。しかし、言葉の再建に失敗するなら、神戸のような、否それ以上の事件が陸続するにちがいない。
(『逆耳の言 日本とはどういう国か』石川九楊)
・山下京子
(『逆耳の言 日本とはどういう国か』石川九楊)
・山下京子
私たちがふだん目にするマクロの世界の物質に光を当てても、物質の質量が十分に大きいので、その位置が変わってしまうようなことはありません。しかしミクロの世界の小さな物質の場合には、たとえばその物質が「どこにいるのか」を観測しようとして光を当てると、当てた光のエネルギーによってミクロの物質が動いてしまうために、もともといた位置がわからなくなったり、物質の運動方向が変わってしまうといったことが起こります。つまりミクロの世界を「見る」場合には、その対象物を「見る前の状態のまま」で見ることはできないのです。
(『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦監修)
(『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦監修)
「合理的な投資・リスク判断」とは、目先の相場変動が上がるのか下がるのかを予想できるようになることではない。合理的な判断とは、不必要なリスクを採らず、採るに値するリスクを選ぶ目を持つことである。(『マネーの動きで読み解く外国為替の実際』国際通貨研究所編)
為替
為替
『安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学』でも書きましたが、昔は生活空間の中で「危ない地域」と「危なくない地域」が明確に分かれていました。「危ない地域」がいくらあっても自分が行かなければ怖くなかった。そもそも「治安が悪い」というのは警察の手が届かない地域がどれだけあるかということです。日本はそうした地域が少なかったから非常に治安はよかったのですが、むろん、警察の手の届かない場所があってもそんな場所へ行かなければ一般人には関係がないわけです。
それでは犯罪が減少傾向にある中で、なぜ体感不安を感じるようになったのか? それは「危ない地域」と「危なくない地域」、すなわち、繁華街と住宅街、昼と夜といった境界がなくなったからだと思います。たとえば、最近話題になっているコンビニエンスストアの終夜営業規制、これは非常に大きいのです。治安のためにはむしろコンビニエンスストアは開いていたほうがいいという意見がありますが、夜に外を出歩く人が減れば治安は格段によくなります。治安をよくするための最強の手段は夜間外出禁止令であることを思い出してほしい。警察の取締りが、格段に楽になります。夜歩いている人は、皆不審人物ですから。(河合幹雄)
(『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』洋泉社ムック編集部編)
それでは犯罪が減少傾向にある中で、なぜ体感不安を感じるようになったのか? それは「危ない地域」と「危なくない地域」、すなわち、繁華街と住宅街、昼と夜といった境界がなくなったからだと思います。たとえば、最近話題になっているコンビニエンスストアの終夜営業規制、これは非常に大きいのです。治安のためにはむしろコンビニエンスストアは開いていたほうがいいという意見がありますが、夜に外を出歩く人が減れば治安は格段によくなります。治安をよくするための最強の手段は夜間外出禁止令であることを思い出してほしい。警察の取締りが、格段に楽になります。夜歩いている人は、皆不審人物ですから。(河合幹雄)
(『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』洋泉社ムック編集部編)
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