哲学が無害な慰みごとと考えられている時代に生きるわれわれは幸せである。しかし1676年の秋が近づくころ、バルフ・デ・スピノザには、わが身の危険を心配する十分な理由があった。一人の友人が最近処刑されていたし、もう一人の友人は獄死していた。主著『エチカ』を出版しようとするかれの努力は、それを犯罪として訴追しようとする脅迫のなかで頓挫していた。あるフランスの指導的な神学者はかれを「今世紀でもっとも不敬虔でもっとも危険な男」と呼び、権力をもつある司教はかれを「鎖につないで鞭打たれるに値する気のふれた男」と非難した。公衆にはかれは、たんに「無神論者のユダヤ人」として知られていた。(『宮廷人と異端者 ライプニッツとスピノザ、そして近代における神』マシュー・スチュアート:桜井直文、朝倉友海訳)
科学/異端
発見は、疑問に答えを与えてくれることもある。しかし非常に深い発見は、疑問にまったく新しい光を投げかけ、それまでの謎は知識不足のせいで生じた思い違いだったことを教えてくれる。(『宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体』ブライアン・グリーン:青木薫訳)
宇宙/時間
宇宙/時間
ゴルギアスは、間主観性が錯覚だということに気づいただけではなかった。彼は、他者の心が実際には知ることができず、感覚を通して推測することができるだけなのだから、それらは存在していないのかもしれないという結論に達した。結局のところ、実際には、ほかの人間の心を見ることも、それに触れることも、その重さをはかることもできない。私たちが実際に観察できるのは、動く体、話す口、歪む顔だけである。このような理由から、ゴルギアスはいまも、多くの学者から、世界で最初の唯我論者――哲学的理由から、ほかの心の存在そのものを否定する者――とみなされている。(『ヒトはなぜ神を信じるのか 信仰する本能』ジェシー・ベリング:鈴木光太郎訳)
科学と宗教
科学と宗教
オフショアは、富と権力を持つエリートたちが、コストを負担せずに社会から便益を得る手助けをする事業なのだ。
具体的なイメージを描くとすれば、こういうことになる。あなたが地元のスーパーマーケットでレジに並んでいると、身なりのいい人たちが赤いベルベットのロープの向こうにある「優先」レジをすいすい通り抜けていく。あなたの勘定書きには、彼らの買い物に補助金を出すための多額の「追加料金」も乗せられている。「申し訳ありません」とスーパーマーケットの店長は言う。「でも、われわれは他に方法がないのです。あなたが彼らの勘定を半分負担してくださらなければ、彼らはよそで買い物をするでしょう。早く払ってください」
(『タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!』ニコラス・シャクソン:藤井清美訳)
マネー/タックスヘイブン
具体的なイメージを描くとすれば、こういうことになる。あなたが地元のスーパーマーケットでレジに並んでいると、身なりのいい人たちが赤いベルベットのロープの向こうにある「優先」レジをすいすい通り抜けていく。あなたの勘定書きには、彼らの買い物に補助金を出すための多額の「追加料金」も乗せられている。「申し訳ありません」とスーパーマーケットの店長は言う。「でも、われわれは他に方法がないのです。あなたが彼らの勘定を半分負担してくださらなければ、彼らはよそで買い物をするでしょう。早く払ってください」
(『タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!』ニコラス・シャクソン:藤井清美訳)
マネー/タックスヘイブン
世紀半ばには、他の強国が台頭する。今は強大な国と見なされていないが、今後数十年間でますます力を蓄え、自己主張を強めると思われる国々だ。中でも3国が傑出する。第一が、日本である。日本は現在世界第2の経済大国だが、資源に乏しく輸入依存度がきわめて高いという点で最も脆弱な国でもある。軍国主義の歴史を背負う日本が、平和主義的な二流大国のままでいるはずがない。そのままではいられないのだ。深刻な人口問題を抱えながら、大規模な移民受け入れに難色を示す日本は、他国の新しい労働力に活路を見出さざるを得なくなる。日本の脆弱性については以前も触れたことがあるが、これまでのところ日本はわたしが予想したよりうまく対処しているようだ。しかしいずれ政策転換を迫られるだろう。(『100年予測 世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図』ジョージ・フリードマン:櫻井祐子訳)
問題なのは、窓ガラスが割られた状態で放置された車の例でも、その地域全体のち庵が悪化したわけではなく、秩序の乱れや逸脱は、車の周囲に限定されているということである。
つまり、割れ窓を取り除く効果は、秩序の乱れの及ぶ範囲や逸脱の範囲に一定の限界を持っているということであり、たばこのポイ捨てや落書き、小さな違反行為などをターゲットにした場合には、「割れ窓理論」は、その行為に限って効果がある可能性があるが、その効果に限界があるということである。
(『2円で刑務所、5億で執行猶予』浜井浩一)
つまり、割れ窓を取り除く効果は、秩序の乱れの及ぶ範囲や逸脱の範囲に一定の限界を持っているということであり、たばこのポイ捨てや落書き、小さな違反行為などをターゲットにした場合には、「割れ窓理論」は、その行為に限って効果がある可能性があるが、その効果に限界があるということである。
(『2円で刑務所、5億で執行猶予』浜井浩一)
しかも、ただ単に翻訳家にとどまらず、彼自身がすぐれた霊的能力の持ち主であり、実践をなによりも重視する密教の導入に欠かせない逸材といってよかった。
そのドルジェタクには、しかし、闇の部分があった。彼は自分に敵対する者を、仏教における智恵の神、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の化身(けしん)にして冥界の王たるヴァジュラバイラヴァ(ヤマーンタカ)を主導とする密教修法によって、つぎつぎに葬り去っていったのである。彼が用いた秘儀を「度脱」(ドル)という。度脱は、ある特定の人物を、それ以上の悪事を重ねる前にヴァジュラバイラヴァの秘法を駆使して呪殺し、ヴァジュラバイラヴァの本体とされる文殊菩薩が主宰する浄土(じょうど)へ送り届けるというものである。ドルジェタクは、おのれの行為を慈悲の実践にほかならないと主張した。(『性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光』正木晃)
そのドルジェタクには、しかし、闇の部分があった。彼は自分に敵対する者を、仏教における智恵の神、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の化身(けしん)にして冥界の王たるヴァジュラバイラヴァ(ヤマーンタカ)を主導とする密教修法によって、つぎつぎに葬り去っていったのである。彼が用いた秘儀を「度脱」(ドル)という。度脱は、ある特定の人物を、それ以上の悪事を重ねる前にヴァジュラバイラヴァの秘法を駆使して呪殺し、ヴァジュラバイラヴァの本体とされる文殊菩薩が主宰する浄土(じょうど)へ送り届けるというものである。ドルジェタクは、おのれの行為を慈悲の実践にほかならないと主張した。(『性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光』正木晃)
軍人たちは怒って彼のギターを取り上げた。
彼は今度は手拍子で歌い続けた。怒り狂った軍人は、銃の台尻で彼の両腕を砕いた。彼はそれでも立ち上がって、歌おうとした。すると軍人は彼を撃った。まるで生き返るのを恐れるかのように、数十発の銃弾が彼の身体に撃ち込まれた。
そのとき軍人は言ったという……「歌ってみろ、それでも歌えるものならな」
(『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』八木啓代)
ショック・ドクトリン
彼は今度は手拍子で歌い続けた。怒り狂った軍人は、銃の台尻で彼の両腕を砕いた。彼はそれでも立ち上がって、歌おうとした。すると軍人は彼を撃った。まるで生き返るのを恐れるかのように、数十発の銃弾が彼の身体に撃ち込まれた。
そのとき軍人は言ったという……「歌ってみろ、それでも歌えるものならな」
(『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』八木啓代)
ショック・ドクトリン
大規模なショックあるいは危機をいかに利用すべきか、フリードマンが最初にそれを学んだのは、彼がチリの独裁者であるアウグスト・ピノチェト陸軍総司令官〔本来の発音は「ピノチェー」だが、1973年の軍事クーデター以来、日本では多くの場合「ピノチェト」と表記されてきたため、本訳ではそれに準ずる〕の経済顧問を務めた1970年代半ばのことだった。ピノチェトによる暴力的な軍事クーデターの直後、チリ国民はショック状態に投げ込まれ、国内も超インフレーションに見舞われて大混乱をきたした。フリードマンはピノチェトに対し、減税、自由貿易、民営化、福祉・医療・教育などの社会支出の削減、規制緩和、といった経済政策の転換を矢継ぎ早に強行するようアドバイスした。(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子、村上由見子訳)
ショック・ドクトリン/ビクトル・ハラ
ショック・ドクトリン/ビクトル・ハラ
IMFの構造調整政策――国家を現在の危機に対応させると同時に、もっと永続的な不均衡にも対応させる調整政策――は、多くの国で飢餓と暴動を生みだした。(『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』ジョセフ・E・スティグリッツ:鈴木主税訳)
ショック・ドクトリン
ショック・ドクトリン
銀行の活動、つまりクレジットによって支配された社会は、時間と待機を利用しながら、未来を手球にとる。それは、あたかもすべての活動が、社会の成りゆきに先だって計算され、見込みのうえに成り立っているかのような社会である。(ジャン=ジョゼフ・グー)『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート:杉村昌昭訳
時の意味を考えるとき、それは出来事の副産物と考えることもできる。出来事というものは一つ起きると、次の出来事へと進むものである。時は、二つの出来事の積み重ねの中に存続している。アインシュタインは、(警察官から陽子に至るすべての物質をひっくるめて)物も「出来事」だと書いている。なぜなら、出来事はある一瞬、ある場所で、一つの形でしか存在しえないからである。他のどんな一瞬とも違うし、すべてのことは、変わり続けている。この点においてアインシュタインは、「物」もまさに「出来事」だ、というわかりやすい見解を示した。私たちはある「出来事」と他の「出来事」により、「前」と「後」の感覚を得る。同じように、時の長さも(喪失も)、この理論に基づけば理解できる。時は、出来事を通してのみ計ることができるものなのだ。だから、もしもこの出来事がなかったら、時は自然に止まってしまう。また、もし出来事がたった一つしか怒らなくても、世界はどこにも存在できないし、何ものにもなれないだろう。「時」に意味がなくなってしまうからだ。(『刺激的で、とびっきり面白い時間の話 人、暦、時間 神々と「数」の散歩道』アレグザンダー・ウォー:空野羊訳)
時間
時間
さらにニュートン力学的宇宙観によれば、「すべての事象は数学的に表現できるような力学的法則に従い、したがって必然的である。この宇宙に偶然なものは本来存在しない」と考える。そうして、人間にとって「偶然」と見えるものは、対象についての知識が不十分なためにそのように思われるだけであり、したがって「偶然」とは単に「無知」の結果であるにすぎない、とラプラスは主張した。(『偶然とは何か その積極的意味』竹内啓)
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